2012年11月20日号
小松原法難七五〇年前会法要 わかりやすい「問答法要」で異体同心
【千葉南】小松原法難七五〇年奉行会(原日透総裁)は11月11日、鴨川市本山鏡忍寺(原総裁=貫首)で小松原法難七五〇年前会法要を営んだ。全国からの管区檀信徒協議会会長や千葉教区を中心とした檀信徒500人が参列し、来年のご正当へ向けてお題目を唱えることの喜びを深めた。
小松原法難は文永元年(1264)の同日に日蓮聖人が念仏者の東条景信に襲撃されたご法難。弟子の鏡忍房と檀越の工藤吉隆公が殉教し、日蓮聖人も腕を折られ、額を切られた。またこのご法難の霊跡にある同寺は、吉隆公の遺児日隆上人によって弘安4年(1281)に建立された。
法要に先立ち、講談師の一龍齋貞鏡さんが小松原法難を巧みな話芸で披露し、参列者は講談の緊迫感ある語りに息を飲む場面も。
法要は日蓮宗の伝統的な説教、高座説教をヒントに、同会が考え出した「問答法要」形式で営まれた。内容はご法難から12年後の身延を舞台に、同会の僧侶扮する日蓮聖人と若き日隆上人が問答を行い、小松原法難の宗教的意義を確認するというもの。また「身命を惜しまずに法華経を弘める者は難に遭う」と説かれる法華経「勧持品」を繙く場面では参列者とともに読経し、日蓮聖人が小松原法難の様子を物語る場面では、ご遺文『南条兵衛七郎殿御書』の襲撃からご自覚まで書かれる一部を奉読した。さらに父吉隆公のことを何も知らされていなかった日隆上人が自らの出生を知るという演出もあり、参列者は終始小松原法難の世界に引き込まれていた。
法要後、全国檀信徒協議会副会長の池上幸保氏は「日蓮聖人の末代の門下として異体同心にして、立正安国・お題目結縁の願行を成就する」と誓願文を読み上げた。また導師を務めた原総裁が挨拶で「この法要をきっかけに750年前に法華経弘通に邁進された日蓮聖人の思いを考え、今一度お題目、法華経を弘めるという決意を新たにしていただきたい」と語った。
今回行われた“問答法要”は参列者に好評で「小松原法難を詳しく知らなかったが、物語が目の前やりとりで、内容やその意味をよく知ることができた。法要に気持ちが入り、異体同心でお経やお題目を唱えられたと思う」との声が聞かれた。同奉行会では「また工夫を凝らした企画で、50年に一度の節目となる来年の正当会を迎えたい」としている。(支局記)
