2010年8月10日号
川施餓鬼
全国各地で夏の夜を彩る花火大会が開かれた7月24日、静岡市内を流れる安倍川でも「第57回安倍川花火大会」が盛大に開催され、大勢の見物客を魅了した。
この花火大会は、同市感應寺(伊藤通明住職)の川施餓鬼かわせがきが起源と伝えられている。そのルーツは江戸時代に遡り、天明(1781~89)から天保(1830~44)にかけて続いた天変地異を鎮めるため、天保2年(1831)、平安を願って感應寺門前にお題目を刻印した「諸霊供養塔」が建てられた。
隔てて大正12年(1923)、関東大震災が起きた。指物職人だった感應寺檀徒・小田万蔵氏は東京での修業時代、世話になった親方や仲間が横死したことを悼み、供養塔の建立を一念発起。感應寺をはじめ近隣の日蓮宗寺院や講中、職人仲間の協力を得て寄付金集めに奔走し、被災者の3回忌にあたる同14年9月1日、悲願叶って安倍川堤防に「南無妙法蓮華経 関東震災横死者供養塔」を建立。碑文を染筆したのは身延山81世・杉田日布上人だった。前述の「諸霊供養塔」もこれを機に移転再建され、二棹の塔を前に、数千の人が参列する中、大供養会が営まれた。このとき供養のために打ち上げられた花火が、安倍川花火大会のはじまりだという。
それから85年。たくさんの人々の思いを紡いできた川施餓鬼が、今年も行われた。
法要に先立ち、身延山大学「行学寮」の学生20人が、じりじりと照りつける炎天下を感應寺から供養塔まで約2キロを唱題撃鼓しょうだいぎゃっく。その後、安倍川河川敷で伊藤住職を導師に施餓鬼法要が厳かに営まれ、供養の読経が川面に響いた。
船上で読経・供養のお題目(東京 法恩寺)
日本各地で猛暑日となった8月5日、東京の隅田川で川せがき精霊しょうりょう供養が行われた。
この法要は東京・墨田区の法恩寺(鈴木貫元住職)が、震災や戦災で亡くなった多くの御霊みたまに供養を捧げるため毎年営んでいるもので、今回で19回を数える。
隅田川周辺では現在東京スカイツリーを建設中。変わりゆく街並みにあって忘れてはならない平和への祈りを捧げた。
午前11時、檀信徒など約150人の参列者が浅草駅近くの吾妻橋で台船に乗船。約6キロを1時間半ほどで往復した。
法要は鈴木住職を導師に営まれ、船いっぱいの参列者は大粒の汗をかきながら心を込めて読経し、お題目を唱えた。
途中、墨田区向島に架かる桜橋では僧侶や檀信徒約50人が待機。その中には戦争中の自らの思い出に思いを馳せる人、両親を失った人などそれぞれの思いを載せて散華供養をした。
船上での昼食をはさみ、参列者は再び読経・唱題し、供養のお題目を川面に響かせた。
鈴木住職は法要後、「皆さまのご協力により19回目を迎えることができました。この隅田川の歴史のなかには犠牲になった数多くの人たちがいます。『私たちを忘れないで』、ゆらゆら揺れる水の紋様がそう話しかけている気がします。今の私たちにできることは、隅田川に遺されたさまざまな思いに向かって、そっと手を合わせお題目を唱えることです。この夏もそしてこれからも、私たちはこの川に感謝を捧げます」と語っていた。