日蓮宗新聞
2010年1月1日号
新春のご挨拶
日蓮宗管長
酒井日慈猊下
法乳に出合った幸せ
『法華経』の教えは、いのちを育てる乳です。
すなわち法の乳『法乳』なのです。
これは、103歳にして尚矍鑠と仏法を説き続けられた臨済宗妙心寺派の高僧であり、南無の会の会長でもあられた松原泰道老師の言葉です。
老師は続けて「『法華経』は文字を読むのではなく、自分を読むことです」
と、お説きになられる。
そして、―自分を読む―ということは、『法華経』に同化し、『法華経』に成りきることです―と、おっしゃる。
これは難しい。
容易なことではありません。
そこで、松原老師は次のように教えられるのです。
『法華経』に「柔軟心」という言葉が説かれています。
これは、―自然で豊かで素直な心―という意味です。
つまり、真理に素直にしたがう心のことです。 その「柔軟心」で読むことによって、味わい深い法華経を知ることが出来るのです、―と。
そして又、『法乳』について松原老師は、
「同じ母乳で育っても、別人格の人間となるように『法華経』の法乳は各宗派の祖師を通じてそれぞれの宗旨宗派の信徒の心を育てました」
と、言われます。
そして、「時を同じくして、長い年月にわたって仏教思想を究められた日蓮聖人は『法華経』こそ了義経(釈尊の教えを完全に表している大乗の経典)である、と確信され、心眼を開かれたのです」
と、教えられます。
「鳥と虫とは鳴けどもなみだおちず。
日蓮はなかねどもなみだひまなし」
心にしみいる美しくも強烈なお言葉です。
日蓮聖人がながされた涙は世間の人の涙とは違うのです。
『法華経』に出合えたことによる甘露になぞらえた―法悦の涙―なのです。
私たちも、―いのちを育てる有難い法乳に出合いながら「甘露のなみだとも云いべし」―というものには遠くおよばないまでも、―有難い幸せです―ぐらいな気持ちをもちたいものです。
新春を迎え、心身共に健やかさを覚える時、そのすがすがしさを濁らせることなく、今年も―生き生きと生きる心―を大切に育ててゆきたいものです。
仏教詩人、安積得也さんの詩に―。
はきだめに
えんど豆咲き
泥池から
蓮の花が育つ
人皆に
美しき種子あり
明日何が咲くか
と、あります。
―明日、何が咲くか―
今年も、是非、美しい花を咲かせようではありませんか。
日蓮宗総本山身延山久遠寺法主
内野日総猊下
「共に生き共に栄える」
本紙読者諸兄姉には、平成22年の新春を寿ぎのことと、お慶び申し上げます。また、平素は、祖山に対し、種々、ご丹誠をいただき、衷心より厚く御礼申し上げる次第であります。
さらには、昨年5月、念願であった五重塔落慶式が、賑々しく盛大に奉行できましたことも、仏祖三宝諸天善神の尊いご守護に加え、身延山久遠寺に縁りのある各聖各位の絶大なるご支援ご協力の賜物と、深く感謝申し上げております。
さて、冒頭の言葉は、すでに多くの読者諸兄姉がご存知のように、先々代の法主猊下であります岩間日勇上人のお言葉であります。日勇上人は、永年、身延山の布教部長として勇名を馳せ、日蓮大聖人のご誓願の広宣流布に挺身され、その後、身延山総務を経て、90世法主として晋董されました。小衲は、執事参拝部長として日勇上人にお仕えいたしましたが、以来、この言葉を宗教者として箴言としなければならないと、肝に銘じております。
ここで、小衲が、いまさら申し述べるまでもありませんが、私たち全ての生命体は、自己以外の生命を屠って、自己のいのちを保っています。
つまり、私たちは、決してひとりだけでは生きていくことはできません。また、自分のいのちだから、自分のものであると考えるのも当然ではありますが、しかし、自分のものでありながら、その寿命を知りません。
つまり、生きとし生けるものすべてが、それぞれ、天地の理法によってあるのだということに思いをいたさなければなりません。
だからこそ、大自然の恵みによって生かされているということに感謝し、人々と共に手を携えて支え合いながら生きていかなければならないのであります。
私たちは甚重な因縁によって法華経に出合うことができました。その法華経を信じていながら、争ったり、批難したり、憎んだり、恨んだりしていては、かえって、法華経に背くことになってしまいます。読者諸兄姉にはいかがでしょうか。
国内外の昨今の不穏な情勢を鑑みますと「共に生き共に栄える」世界を実現しなければならないと痛感する次第であります。及ばずながらも、その実現に向け、努力していきたいと思っております。
国際社会は、法華経如来神力品「十方世界は通達無礙なること一仏土のごとし」でなければならないはずです。争うことよりも和することに、対立することよりも助け合うことに、これが、私たちの歩む姿ではないでしょうか。
日蓮大聖人は「異体同心ならば、万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」とのご教示です。やはり、和することの必要性をお示しになっていらっしゃいます。
平成22年の年頭に際し、本年が、読者諸兄姉にとりまして、平安で光輝ある一年となりますようお祈り申し上げ、ご挨拶といたします。