2009年1月1日号
今年は丑年
『立正安国論』奏進、節目の750年
私たちは今なにをすべきか考えよう
日蓮聖人の御遺文をひもときますと「牛馬」が登場するものが多数見受けれられます。そのなかで、最も知られているのが『立正安国論』の冒頭の一節ではないでしょうか。
「旅客来りて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり」という有名な書き出し部分です。日蓮聖人は、この一文で当時の鎌倉の町の惨状を表現しました。そしてこの状況を打開するにはどうするべきかを、為政者に進言したのが『立正安国論』です。
当時の状況をして、21世紀の現代社会にあてはまるという人もいます。なるほど、天変・地夭は昨今頻発する異常気象や大地震のことです。今のところ飢饉になってはいないものの穀物の不作が伝わってくる国もあると聞きます。疫癘は巷間話題となるところの新型インフルエンザのことでしょうか。みごとなくらい合致するものがあります。
さて「牛馬斃れ…」の部分ですが、ここを読むたびに、私はシャッターを下ろしたままになっている地方の商店街を思い起こしてしまいます。
大都会で暮らす人にはピンと来ないかもしれませんが、地方都市の不景気や過疎化・高齢化は目をおおうばかりです。シャッターを下ろしたままの商店、これはすなわちその地域で商業経済が成立しなくなったことでもあり、日蓮聖人ご在世の鎌倉時代の疲弊した世情と共通するものがあるのではないでしょうか。
人と人、都市と地方。21世紀に入り、格差が拡大してさまざまのところに「ひずみ」が目立ってきました。物質的な豊かさの追求は悪いことばかりではないでしょう。競争の原理が発展を生むことも間違ってはいないでしょう。しかし度が過ぎたときどうなるのか。もしかすると今日の日本の姿も、仏さまや日蓮聖人には「お見通し」だったのかもしれません。
さて、今年は宗祖日蓮聖人が『立正安国論』を鎌倉幕府に奏進して750年目の年にあたります。宗門ではこの節目の年にさまざまな行事を企画しています。それに参加するだけでなく、大事なことは『立正安国論』を読む、ということではないでしょうか。
『立正安国論』に書かれていることは、750年という長い年月を経ても、決して色あせることなく輝き続けている金言ばかりです。この節目の年に、読んだことのない人はぜひお読みください。読んだことのある人は、ぜひ再読してみましょう。
750年前に宗祖の発した警句を噛みしめ、私たちは今なにをすべきか。それを考える年にしてみてはいかがでしょう。
