2007年1月10日号
多磨全生園 日蓮宗会堂で法要
東京都東村山市にある国立療養所・多磨全生園内の日蓮宗会堂で昨年12月12日、「深敬院日琢(綱脇龍妙)上人37回忌・全生園開堂50周年・深敬園創立100周年」の法要が営まれ、同園の日蓮宗徒の会「唱行会」会員など約30人が参列した。
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綱脇上人は明治時代、ハンセン病患者のための「身延深敬病院」(後の深敬園)を身延山に創設。また、全国5ヵ所の国立療養所にを建てるなど、ハンセン病患者救済に人生を捧げた。
身延の湿気を経験した綱脇上人の指導で高床式の建築がなされた全生園の会堂は、築50年とは思えない快適さを保っており、「みんなが安らげる場所に」という綱脇上人の願いが、今に生きている。
深敬園の閉鎖に伴い、入居者は全生園に転居してきた。森登さん(89)はその頃の思い出を「この会堂は、身延の木で建てられました。木材を切り刻んで車で運び、会堂が出来上がるまで、大工や左官だった仲間を中心にみんなで一生懸命に働きました。綱脇上人は嘘が大嫌いで正直が大好き。自分にも他人にも厳しい人でした。節約を重んじ、自らも継ぎを当てた着物を着て、私たちがもったいないことをするとよく怒られたものでした」と話してくれた。
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このたびの法要を発起したのは、全生園で15年間にわたり駐在布教師を務める大庭一記師(東京都善行院住職)。月に3、4回は足を運び、入居者との心の触れ合いを重ねてきた。その活動は仏事に限らず、花見会やカラオケ大会、忘年会など、善行院の寺族や檀信徒も一緒になっての付き合いを続けている。
この日は大庭師を導師に法要が営まれた後、参詣者がそろって会食。福引きが行われたり、大庭郁江夫人らが美しい琴の音色を披露するなど、わきあいあいと楽しい時間を過ごした。
綱脇上人がハンセン病患者の救済を志して100年。その菩薩行は人々の心に刻まれ、指針となって輝き続けている。