2004年3月10日号
妻偲び俳壇へ10年投句
表紙に「追悼譜」と自筆された、一冊の句集が完成した。
妻亡き後、妻が長年投句していた日蓮宗新聞「法華俳壇」(毎月10日号)に、10年にわたって投句を続けてきた読者・故堀井隆三郎さん(享年87歳)が詠んだ妻への追悼の句、約850句が収められている。
昨年12月、完成を目前に“彼岸”へ渡った隆三郎さんの遺志を息子・裕三さんが受け継ぎ、隆三郎さんの墓前に句集の完成を報告した。
静岡県伊東市妙隆寺(罍慈秀住職)の筆頭総代、堀井隆三郎さんは平成5年、妻・安代さんをクモ膜下出血で亡くした。二人で畑に行き、昼の弁当を開きながら楽しく会話をしていた安代さんが、夕食の後、受話器を手にしたまま倒れ、数日後息をひきとった。
安代さんは生前、「法華俳壇」に投句。選者の上田正久日師(山梨県上澤寺住職)から指導を受けながら俳句を嗜んでいた。隆三郎さんも安代さんに教わりながら二人で句を詠んでいたが、安代さんが亡くなった平成5年から本格的に「法華俳壇」に投句を始めた。その句は、ほとんどが安代さんを偲んだ詩。安代さんが遺した湯呑み、植えた山茶花、畑仕事に持つお弁当を入れていた手編みの袋、菜の花の間から見え隠れした安代さんの姿…生活の中でふと蘇る安代さんへの思いが、五七五に溢れている。
御仏に妻の名唱え別霜
亡き妻と通ひし野良路辛夷咲く
妻遺す湯呑みに新茶畑昼餉
「俳壇」を通して、隆三郎さんは多くの俳人仲間と出会うことができた。全国俳句大会にも出席、上田師と1泊2日を共にし、俳句の楽しみを語り合ったこともあった。
安代さんの13回忌を迎える年、畑で摘んだお茶を送った隆三郎さんのもとに、上田師からお礼の句が届いた。
志深く供えて新茶の香
句集の発行を決めたのは隆三郎さんの息子・裕三さん。父の入院中、隆三郎さんの部屋で本人がまとめていた原稿を見つけ、米寿のお祝いに句集の発行を思いついた。隆三郎さんは病床で本の構成を指示したり挨拶文の作成にあたったが完成前に霊山へ。表紙に記された自筆のタイトルは、隆三郎さんが病室で書いた絶筆。巻末には自筆による辞世の句も掲載されている。
裕三さんは500部印刷し、隆三郎さんの教え子らに送付。何十年も音沙汰のなかった教え子から御礼の俳句が届いた。
海越えて旧師あたり春かすむ
上田師は、「日蓮宗新聞を毎月楽しみにし、信仰の糧としていたようです。夫婦で同じ趣味を持ち、同じ信仰に励まれたことは素晴らしいと思います」と追悼の言葉を贈っている。
妻の忌や花散り初めし百日紅
隆三郎さんが「法華俳壇」に投句した最後の句は、奇しくも最優秀作に選ばれた。