日蓮宗新聞

2008年8月10日号

埴谷の妙宣寺 宗門史跡に

日親上人誕生と出家の地 妙宣寺とその周辺

千葉県山武市埴谷の妙宣寺(馬渡辨龍住職)が「日親上人誕生と出家の地 妙宣寺とその周辺」として宗門史跡に指定された。7月22日、東京大田区の日蓮宗宗務院で小松浄慎宗務総長から馬渡住職に指定書が渡された。
妙宣寺は「なべかむり日親」で有名な日親上人誕生・出家の寺院として知られ、創立以来の一塔両尊を伝える。境内から300mほど離れた地に“日親上人産湯の井”と伝わる井戸がり、また一帯には土塁跡を遺す埴谷城跡もある。妙宣寺は周辺の歴史的環境を忠実に守りながら境内地と伽藍を整備し、井戸の史跡顕彰を行うなど、埴谷城址の保全を図っていることから今回の指定となった。

◇妙宣寺の変遷
室町時代、埴谷の領主埴谷左近将監法義が、中山法華経寺三世・日祐上人に帰依し「法華堂」を建立したのをきかっけに日祐上人の弟子・日英上人が開山となり明徳元年(1390)、埴谷氏の居城の向かいに妙宣寺を建立した。中山門流の私本寺として隆盛し、多くの末寺と檀徒を抱えていた。後には多くの人が訪れ、日親上人の顕彰を行ってきた。
しかし第二次大戦後には日親上人産湯の井戸周辺の土地が個人所有となり、訪れる人も減少。それを憂いた馬渡住職は周辺の土地を買い求め、往時を偲ばせる場所にし、多くの参拝者が訪れるようにと現在整備を進めている。

◇信仰に生きた日親上人
日親上人は応永14年(1407)に上総の国埴谷(現・千葉県山武市)の地の埴谷一族に生まれる。日英上人に師事し出家し、その後、肥前国小城郡松尾(現・佐賀県小城市)の光勝寺に赴き、教団の指導にあたった。しかし当地の領主であった千葉氏の信仰を批判したため、光勝寺を去ることになり、京都では厳格な法華信仰を貫いたことで、激しい法難に何度も遭った。日親上人は宗祖日蓮聖人が『立正安国論』をもって時の執権・北条時頼に諫暁を行ったことに倣い、『立正治国論』をもって将軍・足利義教に対し諫暁を図ったが捕らえられ、投獄された。その際、灼熱の鍋を頭に冠せられ、舌を切られるという過酷な拷問を受けた。これより「なべかむり日親」と後世呼ばれるようになった。後に日親上人は、京都に本法寺を建立し、ここを拠点として布教に励み、82歳で遷化。日蓮聖人の事跡に倣い、死身弘法の精神で法華経流布に生涯を捧げた先師である。

◇信仰を受け継いで
馬渡住職は「多くの人に日親上人を知って頂きたい。日親上人の篤い信仰を受け継いでいき、昔の隆盛を取り戻すよう、護持と整備をしていきたい」と語った。

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