論説

2024年8月1日号

明日の更生保護活動に向けて

5月下旬に、保護観察中の男性が滋賀県の自宅で担当の保護司を殺害する事件が発生した。60年前の同様の事件以来で、社会に衝撃を与えた。被疑者は6年前に強盗事件を起こし、保護観察付きの執行猶予中であった。新聞報道によれば被害に遭った保護司は、更生保護活動に熱心に取り組み、これまで他の対象者からも慕われていたという。心からご冥福をお祈りする。
保護司は、犯罪や非行をした人たちが立ち直るのを地域で支えるボランティアであり、非常勤の国家公務員である。法務省の保護観察官と協働して、保護観察を受けている対象者に面接を通じて生活や就労についての助言や指導を行い、受刑者が社会復帰する環境への働きかけも行っている。
事件後、直ちに我々保護司には法務省保護局長をはじめとする関係機関から緊急の通知が届いた。こうした事態を受けて、保護司の安全を確保するための当局の適切な対応を強く求めたい。
これまでにも、保護司の活動に関連する問題は種々指摘されてきた。例えば面接場所は自宅で行うことが多いが、住宅事情や同居家族への配慮から抵抗感を持つ人が増えている。「更生保護サポートセンター」でも面接が行われているが、休日や夜間は使用できないことが多い。また保護観察対象者のなかには覚せい剤、精神疾患、家庭内暴力など、対応の難しいケースが増えており、保護司の多くは1人で対象者と向き合うことにも不安を感じている。これらの問題を1つひとつ解決していくことが、将来の更生保護活動にとって重要である。
さらに保護司のなり手が不足し、その数は減少傾向にある。高齢化も進み、約4万7千人の保護司の約8割が60歳以上であり、保護司の確保も課題となっている。そこで、法務省保護局では「持続可能な保護司制度の確立に向けた検討会」を開催し、保護司の待遇や活動環境、年齢条件、保護観察官との協働態勢の強化などについて検討しているという。
ところで宗門には全国組織として日蓮宗保護司会が平成11年以来、活動していることをご存じだろうか。各地の日蓮宗僧侶の保護司の交流を深め、本宗の特色を活かした独自の研修や活動を行い、日蓮聖人の立正安国精神に基づいて個人と社会の平安を実現する一助との思いで更生保護活動に取り組んでいる。
さらに日蓮宗保護司としての特徴は、保護観察の際の心構えにもある。法華経には常不軽菩薩が出会う相手に、「我、深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と唱え、相手を軽んじることなく、敬いの念をもって礼拝したことが説かれている。相手から怒られ、悪口雑言を浴びせられても、常不軽菩薩はそれを耐え忍んだ。我々もこの「但行礼拝」の精神をもって保護観察対象者と面接するように心がけ、慈悲の心をもって相手に寄り添うようにしていきたい。
この度の事件を受けて保護司が、罪を犯した人たちへの厳しい視線や、不安や恐怖心を持つことなく、また社会にネガティブなイメージが広がって保護司を志す者が減少しないことを願っている。
明治時代に、罪を犯した人たちの立ち直りを支える更生保護事業を始めたのは、日蓮聖人直系の信徒の末裔である事業家の金原明善翁である。本宗の僧侶、寺族、檀信徒には、ぜひ明善翁のこの崇高な志を受け継ぎ、更生保護に理解と協力を持って頂き、そして保護司を目指す人が1人でも多く現われることを期待したい。(論説委員・古河良晧)

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2024年7月20日号

佐渡・身延期の代表的著作をたどる

日蓮聖人(1222~82)が、50歳の10月10日に2度目の流罪地である佐渡国へ向け、依智を出発され、4年間を佐渡国で過ごされるのです。聖人の身柄は北条幕府の監視下に置かれ、生活環境と自然環境の厳しさと合わせて、聖人を敵と見なす人びとが、その生命をも奪おうとさえしたのです。しかしこのような厳しい境遇にありながらも、聖人は51歳の文永9年(1272)2月、聖人の著作の中で、もっとも長編である『開目抄』を執筆され、鎌倉の信徒である四条金吾頼基のもとへ使者に託して届けられました。
聖人が過ごされた流人の住居は、地頭本間重連の邸宅の裏に広がる死者埋葬の地に建てられたお堂(塚原三昧堂)です。想像するに、端座された聖人は、文机に広げられた料紙に向かわれ、立教開宗以来の歩みと、法難の必然性の覚悟のもと、一気に法華経の行者としての信仰を本書にしたためられたのです。
ところで、今日の私たちが文章を執筆する場合、周囲に辞書や文献を置き、さまざまな文明の利器を駆使するのが常です。しかし、聖人の住居は、風雨や風雪をしのぐに十分ではなく、さらに流人として所持される典籍には限りがあったことに思いをいたすと、聖人の『開目抄』のご執筆には、畏怖さえおぼえます。
さらに聖人は、翌文永10年4月25日、17紙の両面に記された、ご自身のご本意である『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』を漢文体で完成され、下総中山の信徒、富木常忍の使者に託して、届けられます。
佐渡流罪赦免後、聖人は、地頭波木井実長の招きによって、甲州巨摩郡波木井郷身延へ赴かれます。身延でのご生活は、佐渡流罪と比較しても、けっして安穏なものではなかったと拝察されます。それは、文永11年は飢饉などが襲ったため、食料が十分でなかったと思われるからです。さらに10月には、蒙古が日本に襲来し、世上は不安の底に堕ちることになります。
ところで、波木井氏によって建立された庵室は、三間四面の建物で、聖人および弟子たちとの居住空間であります。けっして、お1人で思索を深められる住居ではありませんでした。
そのような中にあって、佐渡流罪時代からの思索の跡である漢文体の『法華取要抄』を信徒の富木氏へ届けられます。翌文永12年3月には、同じ下総の太田金吾、曽谷教信に対して、全46紙からなる漢文体のお手紙をしたためて、自己が末法の世に、大恩教主釈迦牟尼仏から遣わされた本化の菩薩であることを明示され、加えて、有力な信徒の2人に、それぞれの所領内の寺々に所蔵されている八宗の仏教典籍を、身延へ届けていただきたいという旨が記されます。
文永12年の4月には「建治」と改元され、6月には、聖人みずから『撰時抄』と命名され、「釈子日蓮述」とご署名された110紙からなる著書が完成するのです。さらに聖人は翌年、故郷の清澄寺で出家・得度の師匠であった道善房の死去に際し、『撰時抄』に匹敵するような長文の追悼文である『報恩抄』を完成させ、弟子の日向上人に託されて、道善房の墓前での奉読、そして清澄山の義浄房、浄顕房のもとへ届けられているのです。
このように佐渡・身延期の代表的著作をたどるとき、それは聖人の未来の人びと、つまりいまの私たちに、法華経の救いの永遠なることを伝えることを目的としてご執筆されていると受けとめることができるのです。
(論説委員・北川前肇)

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2024年7月1日号

色彩豊かで想像力を深める読経

今は亡き大先輩の師僧に、「お経を読むときは、登場人物や場面を思い描いて、それに自分なりの色彩をつけて読むことが大切である」と教えられた。
例えば、法華経の冒頭の序品第1は、霊鷲山の山中でお釈迦さまの説法を聴聞しようと大勢のお弟子たちが参集している場面から始まる。霊鷲山というのはどのようなお山だろうかと想像し、そこに参集する菩薩さまにはそれぞれ名前がついていて、多くのお弟子を従えている、その場面を想像するのである。お釈迦さまやお弟子たちの服装はどうであろうか、お顔の表情はどうであろうか、音声はどうであろうか、場面の色彩はどうであろうか、明け方なのか夕方なのかで場面の雰囲気も変わってくるであろう、などなどの想像をたくましくしながらお経を読むと、味わいが深くなるというのである。正しい想像を可能にするのは正しい知識であり、そのためにお経の内容について研鑽することが求められる。
今年4月に92歳で亡くなるまで現役で世界中を飛び回って活躍していたピアニストのフジコ・ヘミングさんは、「音符と音符の間に揺れを作ることで表情が生まれ、弾く人の色になる」と表現していたが、同じ楽譜を基に弾く音楽でも、弾く人によって全く異なる表情になり、聴衆は異なる色彩を感じることになる。いかに聴衆にありありと色彩豊かな世界を感じさせることができるかが、演奏者の力量ということになる。
同じように、釈尊の説法の場面設定のシナリオと説法の内容は、経典に示されている。経典に詳細に示されている場面設定や釈尊の口から発せられる言葉、聴衆の言葉や表情を、お経を声に出して読むことによって、いかにありありと現実のものとして現出させることができるかが、読経する者の力量である。
あたかもピアノの奏でる音楽に豊かな表情や色彩を感じるように、読経している本人や読経の声を聞いている聴衆が、釈尊説法の世界をいかに具体的にイメージ化できるかに、読経する者の能力が問われている。
『法華経』の法師功徳品第19に、5種類の修行方法が説かれている。いわゆる、受持、読(経文を見て音読すること)、誦(経文を見ないで音読すること)、解説、書写の5種類の修行方法である。
ここでいう読と誦には、ただ単にお経を読むというにとどまらず、いかに経典に示されている釈尊説法の世界を具体的に、色彩豊かに自らも感じ、人にも共感させることができるかという意味が含まれている。同じように、お題目を唱えるということは、法華経の世界を立体的に、色彩を持った世界として眼前に現出させることである。
近年コロナ禍を奇貨としてリモート唱題行やリモート法要などが行われるようになってきている。リモート会議では、直接対面して話ができなくても十分内容のある意見交換ができる。たとえパソコンやスマートフォンを介した唱題行や法要であっても、そこに法華経の世界がまざまざと出現し、その世界に心を安らげることができるならば、有効な手段であるといえる。
問題は、お経の読誦や唱題の発信者と受け手の心が正しく同期しているか否かということである。発信者の側に迷いや過ちがあっては、受信者が正しく受け取り豊かなイメージを広げることができない。発信者は常に自らの法華経理解が正しいか否かを自省し研鑽を深めなければならない。
(論説委員・柴田寛彦)

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