論説
2025年2月1日号
時について
「里はまだ夜更かし富士の朝日影」と詠ったのは、黒船が来航した幕末時代の変革期に伊豆韮山代官だった江川坦庵(英龍)です。
大正12年(1923)、関東大震災が起こった時、政権は不安定だったようです。しっかりと政治を行う政府が日本を治めていない時に、国難に遭うのは偶然でしょうか。日本の人口減少も「国に謗法の声有るによて万民数を減じ、家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せんと」(『南部六郎殿御書』)とあるように、邪教と手を結べば国民の数が減るのだと感じざるをえません。
日蓮聖人は、「時」を大変重要視されています。「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」とは、日蓮聖人の『撰時抄』の冒頭のお言葉です。また『報恩抄』にも「日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむる耳。春は花さき、秋は菓なる、夏はあたたかに、冬はつめたし。時のしからしむるに有らずや」と日蓮聖人は、その時がどんな時代なのか、弟子たちに訓育されておられます。
では、今の私たちが暮らしている時代は、一体どのような時代なのでしょうか。世界を見渡せば戦争や紛争があり、核の脅威をちらつかせる大国があったり、一方国内では各地の大地震や水害、災害が立て続けに起こっています。日本固有の領土にしても、事実上、北方四島や竹島などが実効支配され、他国侵逼がもうすでに始まっています。また世界的な異常気象と止むことのない温暖化は深刻度を増してきました。世界的な未曾有の国難とも言える時の真っ只中に、私たちは暮らしているようです。
お経の中には「四劫」といって空劫・成劫・住劫・壊劫の宇宙生成から崩壊までの繰り返される各時のフェーズが示されています。宇宙の誕生の何もない空劫に始まり、成劫の宇宙生成から138億年の今は住劫と言われ、生命が雨中に息づいている時代です。「教主釈尊は住劫第九の減」(『開目抄』)といわれる時代に突入していると説かれています。しかも「その国にまさに三の不祥の事あるべし。一には穀実《穀貴》、二には兵革、三には疫病なり」(『立正安国論』)と述べられています。同じことが今発生していないでしょうか。
ドイツの哲学者カール・ヤスパース(1833―1969)は歴史的な大きな転換点を枢軸時代と定義し、変革期には聖人・聖者・哲学者が輩出することを示唆しています。これは何も哲学者に限らず、古くから仏教でも説かれています。道元 の「修証一等」 「同時成道」もそれに近いもので、法華経は衆生を速やかに悟り(頓悟)に導く大乗の教えであるとした天台智顗の師である慧思は、正・像・末の千年周期を説かれています。
こうした時のサイクルとの同時性について、日蓮聖人は「仏前八百年已前已後の仙人なり」(『開目抄』)や「竜樹菩薩は如来の滅後八百年に出世して、十住毘婆沙等の権論を造りて華厳・方等・般若等の意を宣べ、大論を造りて般若・法華の差別を分つ」(『守護国家論』)などに見受けられる、800年という鍵となる年代周期です。今から800年前の鎌倉時代とほぼ同じ時代背景が進行しているようです。
この鎌倉時代に発生した三災七難と同じような国難と大惨事が再び起きないためにも、僧侶檀信徒が異体同心となって、正法を立てて、世界のモデルとなる国造りを標榜したいと願うのは、何も私1人に限ったことではないように強く感じています。
(論説委員・高野誠鮮)

2025年1月20日号
再び寺院を「通いの場」に
かつて寺院は人びとの「通いの場」であった。そして今、再び寺院の持つ特性を活かした取り組みが期待されている。
今日「通いの場」の名称は、高齢者をはじめとする地域住民が主体となり、介護予防やフレイル(健康な状態と要介護状態の中間の段階状態。予備能力低下で身体機能障害に陥りやすい状態)予防などを目的とした体操や茶話会など多様な活動を行う場をさす。住民同士のふれ合いを通して生きがいや仲間づくりの輪を広げて地域の介護予防の拠点となる場でもある。
国の動向を確認すると「共生社会の実施を推進するための認知症基本法」が令和6年1月1日から施行。さらに認知症になっても社会参画しながら希望を持って生きられるとする「新しい認知症観」を打ち出し、同年9月には認知症施策推進計画案がまとめられた。
筆者の住む埼玉県下にあっては行田市が認知症の人びとと共生する社会を実現するための施策の柱として「予防」「啓発」「共生」の3つを掲げ、「通いの場」への移動支援などを本年2月から開始する。同様の動き、あるいは各種団体などと連携した取り組みは全国各地で展開されている。
宮崎県都農町役場は、日蓮宗寺院の龍雲寺(吉田憲由住職)を会場に令和5年から「認知症カフェ」を開催。同町では寺院や神社を会場に年4~5ヵ所で実施している。特筆すべきは寺院側からのプレゼンテーションを行っている点である。日蓮宗ではなじみ深い法華和讃に童謡をクロスさせたレクリエーションを担当している。「読む×歌う×叩く」という認知症マルチトレーニングとしてもうちわ太鼓は効果があるとのこと。参加者が童謡の歌詞を見ながら歌い、うちわ太鼓を縁うち、胴うちしながら叩く、緊張した面持ちが唄い終わると大声で笑い和やかな雰囲気が本堂をつつむ姿は、同寺のSNSで観ることができる。
実施にあたり、公共の事業として告知し、誰もが参加できる行事のため特定の宗教儀礼にならない工夫が求められた。そこで「ふるさと」や「夕焼け小焼け」の2曲を選び太鼓の打ち方を考案したという。参加者の5分の4は一般町民だが、リピーターが多い。
他方、地域社会にあって「ひとりぽっちをつくらない」「バラバラをつなげる」取り組みの1つとして、定年後の男性の居場所づくりを展開する地域がある。大阪府豊中市社会福祉協議会の勝部麗子さんはコミュニティーソーシャルワーカーの第一人者。彼女が懸念したのは定年後の男性の生活や行動形態だった。通いの場やサロンでの料理会や茶話会に参加しても男性は用が済むとすぐ帰り、会話を楽しんだり、弱音を吐いたりすることが苦手な傾向に気づき、ひきこもりや孤立へつながりやすいと感じた。そこで共同農園の運営を企画した。
競争社会で生きてきた彼らの特性を活かし、役割と作業分担を行った。農作物は成長が分かり易く作業意欲が向上する。また野菜づくりと地域づくりを組み合わせた工夫も行った。例えば収穫野菜をこども食堂へ寄付する、収穫を子どもや車椅子の利用者、認知症の人と作業し地域福祉に貢献し共存社会の一員としての居場所を確かなものとした。勝部さんは、常に相手を尊重し、信じ寄り添いながら、その周囲にいる住民や行政、専門職などを繋いで解決方法を探るという。寺院の在り方にも通じる姿を感じる。
寺院には、教え・時間・空間・人的な資本があると立教大学社会デザイン研究所研究員の星野哲氏は指摘する。また僧侶には、気づき・寄り添い・行動を期待し地域交流のパイプとなれる強みがあるとも述べている。さまざまな人をつなげることができる寺院は「通いの場」として再起動できるのではあるまいか。人は孤立しては生存できない。自他がそれぞれに特性を持つ存在であり、個々のいのちが響き合っていのちの和音を奏でる。「共生」とは「響生」とも書き表せる。(論説委員・村井惇匡)

2024年12月20日号
師への報恩―明年は道善房750遠忌―
日蓮聖人(1222~82)の仏弟子としての歩みは、12歳の出家、そして16歳の得度にはじまります。
仏道修行の場所は、聖人が誕生された安房国長狭郡東条郷(現・千葉県鴨川市)に伽藍をほこる天台宗系の千光山清澄寺(通称清澄山)でした。そして、出家・得度の師匠は道善房で、兄弟子の浄顕房と義浄房の2人が、聖人の「幼少の師匠」でした。
聖人が佐渡流罪の赦免後、身延山へ移られたのは、聖人53歳の文永11年(1274)5月のことです。翌文永12年は「建治」と改元され、この年『撰時抄』と名づけられる著書を「釈子日蓮」というご署名のもとに、執筆されています。和文体の110紙からなる長文の著書で、その大部分のご真筆が玉沢・妙法華寺(静岡県三島市)に護持されています。
本書は、久遠の釈尊が、末法の時代、娑婆世界の人びとを救済することを目的として、最もすぐれた尊い教えである南無妙法蓮華経のお題目を、久遠の弟子(本化の菩薩)に手渡されていることを、釈尊滅後のインド、中国、日本の3国仏教史の視点から詳しく論述された著書です。
翌建治2年(1276)、聖人のもとへ故郷の清澄寺の道善房が3月16日に遷化されたことが報らされました(『新編日蓮宗年表』27頁)。そして、この訃報から4ヵ月あまりの後、「建治二年太歳丙子七月二十一日」の日付のもと、「甲州波木井の郷、蓑歩の嶽より、安房の国東条の郡、清澄山浄顕房、義城房の本へ奉送す」(『昭和定本』)という「奥書」のある追悼文『報恩抄』1巻が弟子の佐渡公日向上人によって届けられることになります。道善房の遷化に対し、聖人は、「火の中、水の中に入っても、馳せ参じて、師の墓前にぬかずいて、聖霊の安らかなことを祈って法華経の一巻でも読誦したい」、と願われたようです。
けれども、聖人は佐渡流罪後、鎌倉、さらに身延山へと向かわれたのですから、周囲の人びとにとっては、聖人は昔の賢人、聖人のならいとして「遁世」されていると思われていることから、「いかにをもうとも、まいるべきにあらず」と、決断されたのです。
このような経緯から、故道善房の墓前に追悼文として1巻の書『報恩抄』を捧げ、弟子の日向上人に奉読することを依頼されていることが知られるのです。
日蓮聖人は、『報恩抄』の冒頭に、人として自己をはぐくんでくれた故郷、そして恩ある人たちへの感謝をけっして忘れることなく、それらの人びとへの「報恩」こそ仏道修行者の歩むべき行為だと明言されます。そして、真の報恩は、自己が仏教の教主釈尊のみこころを知る者、すなわち「智者」となることにある、と結論づけられています。
そして、これまで伊豆流罪・佐渡流罪を色読された日蓮聖人の法華経の行者としての功徳を、旧師道善房へ捧げられることを明記され、『報恩抄』は結ばれています。
このように、日蓮聖人の亡き道善房に対する「回向」の文を拝しますと、私たちも、みずからの人生を、恩ある人たちとの関連性のなかでしっかりと捉え、報恩の一分を果たせるよう生きたいものです。
明年は、道善房の第750遠忌であり、『報恩抄』ご執筆750年の尊い節目に当たることを思いつつ、筆を進めました。
(論説委員・北川前肇)




















