全国の通信記事
2017年9月12日号
愛知名古屋 檀信徒研修道場
【愛知名古屋】名古屋檀信徒協議会(妙傳寺檀徒 奥田智一会長)は9月12日、昭和区法音寺(鈴木正修住職)を会場に檀信徒研修道場を開催し、名古屋管内寺院から140名の檀信徒が参加した。
今回は『唱題行と布教院で身と心を震わせる』をテーマに、講師には求道同願会常任理事の伊藤友行上人(名古屋市熱田区本遠寺住職)を迎え、唱題行の理念と心構え、行じ方についての講義、引き続いて実践をした。
午後からは同所で開催されている「日蓮宗布教院」の龍口法難会法要に参詣、菊岡妙光師(倉敷市正福寺修徒)の卒業試験を聴聞した。本堂を埋め尽くす250名以上の聴衆と共に談議と繰り弁に聞き入り、すすり泣く声も聞かれ、多くの今回のテーマ通り『唱題行と布教院で身と心を震わせる』一日となった。
2017年9月11日号
新潟東 布教師会研修会
【新潟東】拉致問題が一向に解決の兆しが見えないまま横田めぐみさんが拉致されてから今年の11月15日で40年を迎えるにあたり我々に何か出来ることはないのかと思い、新潟県東部宗務所、新潟東部檀信徒協議会の協賛のもと、平成29年9月11日(月)に新潟県東部布教師会研修会(眞島文雄会長)が、研修会の講師には拉致被害者、蓮池薫氏(現新潟産業大学経済学部准教授)を招き講演を新潟市のホテルイタリア軒で行い、多くの教師・檀信徒が参加した。講演内容は『夢と絆』と題し「拉致の目的や拉致問題における解決への現状」「自分がどのように拉致されたか」「北朝鮮での仕事や教育、家族での生活」といったものである。蓮池氏がどのように拉致をされたかの詳細は次のとおりである。
1978年7月31日、当時中央大学法学部3年在学中であった蓮池氏は柏崎市の海岸で当時交際していた祐木子さん(現在の奥様)と二人で居たところ、通りすがりの男に「タバコの火を持っているか」と声を掛けられたのである。蓮池氏が応答しようとした瞬間に松林に隠れていた北朝鮮の工作員数名に後頭部を殴打され、手足を縛られ船に乗せられて拉致されそれから24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされたという。その後、二人は別々の招待所に運び込まれ一時は離れ離れになったが、拉致されてから1年9ヶ月が経った頃に祐木子さんと再会、結婚し数年後に子供を授かった。
北朝鮮の拉致目的は、外国人の工作員(スパイ)を作ることでそのために若い男女が狙われていた。北朝鮮での生活は主に工作員に日本語や日本の文化を教える事や翻訳の仕事なども行い、又、同じ拉致被害者に英語を教えるなどの仕事をしていたのである。しかし、それが功を奏し、レバノン人事件や大韓航空機爆破事件で「日本の拉致被害者から言語を教わった」との証言から状況が変わり、1992年に日本が拉致問題について北朝鮮に問いつめた。
そして2002年9月、小泉首相が北朝鮮を訪れ金正日総書記と会談し、国交正常化を条件に北朝鮮側が拉致したことを認めさせた。2002年10月15日、蓮池夫妻を含む5人の拉致被害者が日本に一時帰国。
しかし、蓮池氏の子供をはじめ拉致被害医者の家族は日本に帰国を許されなかった。北朝鮮の思惑は「子供を本国に人質として残せば必ずや北朝鮮に帰国するだろう」との思いであったが、蓮池夫妻をはじめ拉致被害者は北朝鮮に帰国しなかった。苦渋の選択ではあったがその後、2004年の5月に子供も無事に日本に帰国することが出来た。
拉致問題の解決については、現状は弾道ミサイルや核実験の問題によって翻弄され皆無であり、蓮池氏は「何かのきっかけで必ず拉致問題が動く時がある。文化の違う国である北朝鮮は必ず見返りを求めて来るであろう。つまりお金である。その見返りに対して必ず世論は反対する。だが見返りを支持する側になって欲しい。拉致被害者の家族の会は高齢者が多い。つまりタイムリミットが迫っている。一目でも生きている間に家族の再会を心から願っているのだ」とおっしゃっていた。
しかし、その資源がミサイルや核兵器の予算になってしまう危険性もあるので、北朝鮮の貧しい地域に日本の水力や電力の設備や技術などの経済援助を提案された。
講演に参加した教師や檀信徒も我が事として真剣に、また熱心に拉致問題解決の一助となれるようにと聞き入っていた。
2017年9月10日号
慈悲と平等と平和で立正安国を
文明開化と共に富国強兵が叫ばれ、やがて戦争へと向かっていった明治から昭和にかけて、国民も政府の動きに同調して協力、官民一体となって進んできた。昭和に入って軍隊の力がより強力になり、宗門もまた国家を最優先とした軍国主義の国策に、法華経や日蓮聖人の教えまで都合のいいように解釈し、僧侶檀信徒に対してもそれに従うように指示してきた。僧侶も檀信徒も国家の方針を宗門のあるべき姿であると受け入れ、国家神道をも何ら疑うことも許されなかったのである。
こうした状況は本宗に限らず、どの既成教団もほぼ同じであった。宗門の指導者たちは、戦争への道をひた走る国家体制を全面的に受け入れ協力した。宗門人の中にそれを危ぶむ者がいなかったわけではないが、そうした意見はまったく無視され、時には教えに背く者として責められた。実に暗黒時代が戦争終結の日まで続いてきたのである。
そして昭和20年8月15日を境に状況は一変し、悪夢から覚めたかのように本来の教えに立ち返ったのである。軍国主義から民主主義日本を目指す国の方針に沿って歩むようになった。法華経の教えと日蓮聖人の教えを正しく理解し、「立正安国」の理念を実践するため「世界立正平和」を掲げ、宗門連動として全国に奨励し展開していった。戦争の罪悪を糾明し犠牲者を追憶し、正しい法華経の信仰は立正平和運動にあり、核兵器廃絶と被曝者援護を目的に、管長自ら先頭に立ち全国的に動員をかけて大会が開催されていった。「立正安国」と「立正平和」は言葉として活字として、また常に基本的な信仰理念として活動の中心となってきたのである。
しかしながら、戦後台頭してきた新興教団の急激な跋扈が、昭和40年頃から目立つようになった。そこで宗門は、檀信徒が日蓮宗の宗徒であるという自覚を深めるようにと、各地で統一信行会を実施するようになった。立正平和運動の名は総弘通運動へと移行し、檀信徒の正しい信行の確立と仏子たる自覚と使命感を目指したのである。その後、何度か運動の名称は変わったが、理念とするところは「立正安国・世界平和」であることには変わりはない。スローガン「合掌で光を」も「いのちに合掌」も、世界の人類全てが平和であることを祈っての行動規範である。
最近、世界の動きは平和とは言いがたい状況にある。日本もそうした世界の情勢の中にある。戦後72年たってまたぞろ戦争中を思い起こさせるような状況が見え隠れしてきたが、決して再び戦争が起こるようなことがあってはならない。法華経は慈悲と平等と平和が説かれており、日蓮聖人の目指す「立正安国」も国や人々が安穏であることを願っての教えである。
平和のシンボル「合掌」を忘れず、2度と政府の意志によって信仰の本旨が変えさせられることがないように、戦後歩んできた本宗の足跡を今一度見つめ直したいものである。(論説委員・石川浩徳)




















