全国の通信記事
2016年3月11日号
滋賀・東日本大震災慰霊復興法要
【滋賀県】日蓮宗青年会(清水良一会長)は、東日本大震災慰霊・復興法要を草津市 円融寺(後藤智学上人)にて厳修した。11時より同市内を行脚を行った。その際20代前半のカップルが、義援金を納めて頂き心が温かくなった。13時より僧侶・檀信徒合わせて約70名が集まり法要を厳修し終了後、唱題行を震災発生時刻14時46分まで一心にお唱えした。皆さんの暖かいお心と功徳が被災地に届き、さらなる慰霊・復興がより進むことをお祈り致します。
2016年3月10日号
福岡 福岡組「お題目の集い」
【福岡】福岡組(吉倉正行副長)は3月10日、福岡市日蓮聖人銅像護持教会において、檀信徒約120名と共に、統一信行「お題目の集い」を行った。
法要後、来賓の高嵜泰道宗務所所長(宗像市妙経寺住職)は「今ここにお集まりになった皆さんは仏様の御縁によって導かれ、このお題目の集いという場に集まられたのです。その仏様の御縁を大切にしてください。そして4月にはこの銅像護持教会において県のお題目の集いが開かれますので是非参加をしてください」と挨拶した。
日蓮聖人銅像護持教会主管渡邉正順師が「日蓮宗の象徴であり宝でもあるこの銅像を皆さんとともにお守りしていきたいと思っております」と挨拶した。
その後、門脇英伸師(福岡市妙泉寺住職)により『宗祖降誕八百年に向けて~家庭で育む合掌の姿~』と題して講話が行われた。
門脇師は「私たちの御縁というのは過去世からの積みかさねによって起こっており、そのことを思いお題目を唱えていただきたいと思います。御降誕八百年が目の前に迫っております。日蓮聖人が残された大切なお題目の信仰の姿を家庭の中で示していただくことをお願いします」と述べた。
法話の後、香正寺水上泰仁師による『日蓮聖人の御霊跡を求めて~ご生誕の地千葉編~』と題し、スライドを使い千葉の霊跡寺院等を写真で紹介した。
最後に今年は東日本大震災から5年という節目の年でもあり復興を願って参加者全員で『花は咲く』を合唱し会を終えた。
寺院活動で仏教の復活を
仏教離れがネット上で話題になっていたので追跡してみた。当初はそれを日本文化の崩壊と捉え、その意味で嘆かわしいという立場の声が多かったのだが、最近になって「仏教は文化とは関係ない」という発言が目立ち始めた。曰く、仏教離れは寺が葬儀や年忌に高い布施を要求するからだというのである。寺とつきあっても何も良いことはないという意見もあった。仏教はもはや日本文化の担い手ではないとも。
要するに日本文化が崩壊しつつあるのは事実だが、仏教の堕落は別物だということだ。これに対して仏教側からの反論を目にしていない。かくいう小生も反論できないのは、残念ながらかなりの部分で事実に近いと感じているからだ。かといって看過して良いものではない。深い反省と思い切った方向転換を図るべきだろう。
ところで小生はBAC仏教救援センターというNGOを主宰している。昭和55年に始まった全日本仏教青年会によるカンボジア難民救援活動がその母体である。この画期的な活動には本宗の先輩僧侶たちが先陣を切っていた。当初一会員でしかなかった小生は世界を股にかけた諸先輩の活躍ぶりを羨望と畏敬のまなざしで眺めていたことを思い出す。
当然ながら各宗派からも多くの青年僧侶たちが参加していた。他宗との交流に積極的とは言いがたい本宗僧侶としては貴重な経験になり、仏教という土俵の上で物事を考えるいい機会でもあった。
ほぼ同時期には曹洞宗ボランティア会(現シャンティボランティア会)の前身も発足している。かくして、日本仏教史上初となる、僧侶の団体による国際協力活動が産声を上げ、その後独自で活動を開始する仏教宗派や仏教系団体も出るようになって現在に至っている。
創立35周年を前に資料の整理をしていて驚いたのだが、この間にお預かりした浄財の総額10億円にもなっていた。推定100万余の人たちを下痢による脱水症状から救い、校舎、寄宿舎の建設や奨学金で延べ一万人もの子どもたちに教育を受ける機会を与えさせていただいているこの資金の多くは、全国の檀信徒の皆さまからの布施によるものだ。お寺でいただいた浄財はこんなところでお役に立っているのだと、仏教離れを論じる世論に声を大にして叫びたいところでもある。
当時、活動の舞台となったカンボジア難民キャンプは既に閉鎖されて久しいが、新たな難民が世界中に満ちあふれている。何とかしなければと思いながらも、机上でできる仕事では決してない。小生を含め当時のメンバーは古希を迎え、炎天下での作業など及びもつかない。
残念ながら、若い世代に同じような夢を持つ者は少ないようだ。一般社会では時々報道されてもいるが、青年僧侶となると皆無に近い。このように社会の諸問題から隔絶していることも仏教離れの遠因になってはいないだろうか。
勿論海外に行くばかりが活動ではない。資金や言葉の問題もある。貧困格差の拡大により、国内で支援を必要としている人たちの数は無尽蔵と言ってもいい。寺と僧侶による社会活動こそが日本文化を担いうる仏教の復活に繋がると思うのだが、今の様子ではいささか心許ない。
檀信徒を含む若者たちに期待するのは身口意三業による色読だ。唱えるだけのお題目から行動するお題目へ。宗祖降誕8百年を前に始めてみないか。きっと、お褒めの言葉をいただけると思う。
(論説委員・伊藤佳通)




















