2025年9月10日
大茶人の平和運動と「いのちに合掌」
大正から令和に至る激動の一世紀を生き抜き、茶道を通じて世界の平和を求め続けた茶道裏千家第15代家元・千玄室大宗匠(大宗匠)が、8月14日に逝去した。102歳だった。
翌15日、裏千家へお悔やみに伺った。通された部屋では業躰(内弟子)たちが整然と控え、その一番奥に鵬雲斎大宗匠のご遺体が安置されていた。倉斗宗覚業躰に案内され、自我偈・唱題を読誦し回向した。読経後、裏千家第16代坐忘斎宗室家元(お家元)からご挨拶を受けた。大宗匠は、今年5月に転倒し腰を打撲して入院した。病院では毎日元気に過ごし、お家元の報告にも頷き、よく話を聞いていたとのこと。13日の夕方に、お家元がお盆の精霊迎えの準備をしたことを伝えると、安心した様子で「私が準備しなければいけないのにご苦労さん、ありがとう」と合掌したという。これが最後の会話となった。それから数時間後、14日午前0時42分に逝去した。大宗匠は生前「点滴などで長患いはしたくない」と話していた。お家元は「自分の思い通り、実に潔い亡くなりかたで、最後は合掌でお別れしました」と心境を語った。
思えば、大宗匠とは茶会を通じて数々の思い出がある。正月の裏千家初釜の茶席では、いつも親しく挨拶して下さった。自坊における立教開宗750年慶讃法要(平成14年11月)では、大宗匠には裏千家家元の代としては最後の献茶の奉納をして頂いた。また総本山身延山久遠寺においては、何回も裏千家献茶式に奉仕され、身延山僧道実習生の茶会を「玄妙会」と命名、身延山における茶道の展開を願った。私も裏千家献茶式では、故染山宗江先生、身延山高校茶道部山内宗智先生と一緒に呈茶席を担当してきた。昨年大宗匠から頂戴したお礼状には「この度の身延山久遠寺献茶式に際しましては、玄妙会としてお席をご担当下さり御礼申します。遠路ご準備大変だったことと存じます。当日は法主猊下、総務様とご一緒に御心尽くしの一盌を頂戴し大変有難いことでした…和の心で…千玄室 拝 」と結ばれていた。私にとってこのお手紙は貴重な宝物となった。
大宗匠は、学徒出陣で太平洋戦争に出征し、海軍少尉に任官、特攻訓練を受けた。特攻隊員として覚悟したが、出撃直前に終戦となった。それ以来、常に亡き戦友たちに思いを馳せ、茶道を通じて世界の平和協調を願い「一盌からピースフルネス」を提唱され続けた。1951年ハワイ訪問以来、約70ヵ国を300回以上歴訪し、中国莫高窟やドイツ・ベルリンの壁跡地などでも世界平和を願い献茶を行った。沖縄や硫黄島などの激戦地では怨親戦没者のために慰霊の茶を捧げられた。大宗匠は「平和、平和と口で言うだけでは平和は来ない。平和のためには『アフターユー(お先にどうぞ)』と譲り合う気持ちが大事」と説く。戦争のない平和な世界を求め続けた鵬雲斎大宗匠の生涯は、終戦満80年の前日、劇的に幕を閉じた。
鵬雲斎大宗匠の茶道における「和敬静寂」の精神を基本とした世界平和活動の実践は、日蓮聖人が説く法華経・お題目の精神で世界の平和を目指す「立正安国」の実践に通じるものと、あらためて感じている。
今、宗門では「あらゆるいのちを大切にしよう」と呼びかけ、布教方針「いのちに合掌」を推進している。一般的には「平和」とは穏やかな状態を意味し、「和平」とは平和な状態にすること、と解釈される。今後は、「いのちに合掌」の理念的な解釈から、具体的な実践活動の提示が求められることになろう。つまり「いのちに合掌」を、社会に対する「和平」への提言として展開することが大事ではないだろうか。
(論説委員・奥田正叡)




















