2024年2月20日
人工知能はお坊さんになれるか
近年人工知能(AI)の進歩はすさまじい。一方、人工知能が犯罪に悪用される事例が毎日のように報道されている。
医師の仕事の多くを人工知能が担う時代が来ている。血液や尿検査、レントゲン、CT、MRIなどのデータを入力すると、直ちに正確な診断がなされ、治療法が導き出せる、そのようなコンピューターが実用化されている。手術を手際よく行うロボットも開発されているので、コンピューターやロボットが医師の役割を代替できそうな勢いである。
それでは患者と対面して問診したり診断結果や治療法について説明する医師や看護師は必要ないのであろうか。検査や診断、治療もすべてコンピューターやロボットで行われる場面を想像して、それでよしと首肯できる人はそれほど多くはないだろう。期待されるコンピューターやロボットの果たす役割は、あくまでも人間の有能な補助者としての役割であり、人間と人間の交流の中から生まれる信頼感や醸し出される温もりと、知識や技術の世界とは次元を異にしているのではなかろうか。
哲学者ジョン・サールは、人工知能を「弱い人工知能」と「強い人工知能」に分類している。前者は人間の知能の代わりの一部を行う機械であり、すでに多くの分野で実現されている。後者は知能を持ち精神を宿す機械であるが、こちらはいまだ実現されていない。しかし最近は、人間の補助者としての役割を超えた、独自の感情や創造性を発揮する後者の強い人工知能が近々生み出されるのではないかという議論がある。
視点を転じて、信仰の面における人工知能はどうであろうか。現実に、仏教の経典や日蓮聖人のご遺文のすべてを保存し、必要に応じて適切な経典やご遺文をその中から引用することは可能になってきている。さらに、その解釈や現代的な意味づけについても、最近進歩が著しい、いわゆるチャットGPTが有力な手段となってきている。
知識や情報の集積とその活用という面では、人工知能の果たす役割が大きいことは疑いがない。しかし、仏教信仰の根本的命題である成仏ということについて、人工知能の入り込む余地があるであろうか。
釈尊滅後3千年、日蓮聖人滅後750年を経て、釈尊や日蓮聖人の尊容や謦咳に直接触れることができない現代にあって、人工知能の力を借りて釈尊や日蓮聖人の教えの普及を図ることは、理にかなっており、檀信徒に限らず、一般の人びとが日蓮聖人の教えに触れ、お題目信仰に導かれる機会の拡大につながるものと考えられる。
一方、その内容が改竄されて、釈尊や日蓮聖人の本意が曲解された形で世界中に流布される危険性がある。一旦それが流布されれば修正や回収が極めて困難であるという問題も発生するため、それを防ぐための高度なチェック機構が必要となる。また故意に偽情報・誤情報を流布させて人の心を惑わせ社会を混乱に陥れようとする事態が起こりうることも想定しなければならない。
仏教における人工知能は、教理教学の蓄積と研鑽の意味において有力な手段であるとしても、修行し題目を受持して仏になるという究極の目的において人工知能に依存することはできない。人工知能は、あくまでもコンピューターによって稼働する機械であって、それ自体が発心・修行・成仏することはない。
人工知能には、仏の教えに関する知識をもたらす役割を期待できるとしても、成仏に導く先導役、お坊さんの役割を期待することはできない。
(論説委員・柴田寛彦)




















