2016年9月1日
「ポケモン GO」を「ポケモン 業(ごう)」と考える
夏休み前に当幼稚園では、「おてがみ」として園長の思いをこれから迎える夏休みの過ごし方という内容で記す。母親の就業が増え続けるこの時代に、今後、はたして子どもたちの「夏休み」という言葉が存在していくかどうかという問いはさておき、日頃できない長期の休暇中に、子どもの気持ちや興味、関心に寄り添い夏という季節を感じながら、親子で経験を共有してほしいというメッセージである。
少し前までは、虫かごと網を持って公園の木々を見上げ昆虫を探す親子の姿を目にすることがたくさんあったと記憶している。足音を忍ばせ、虫をのぞき込む親子の後姿を見ながら、私もワクワクしたり、嬉しかったり心が揺れ動くのを自覚していた。しかし、今年の夏はいよいよ「ポケモンGO」の日本配信に伴い、タブレットやスマートフォンを持って公園や観光地に外出し、ゲームを楽しむ親子の姿に遭遇することになるとは。「ポケモンGO」とは、世界的に人気なゲーム「ポケットモンスター」をもとに従来のゲームと異なり、拡張現実の機能を使って屋外で楽しむゲームで、GPS機能によって今、目の前にある風景にポケモンが出現し、様々なポケモンを集めるだけでなく、対戦したりできるという内容に、世代を問わず皆夢中になっているゲームソフトである。すでにメディアで取り上げられている衝突事故や、迷惑行為など、注意喚起が促されている。
以前『田尻智 ポケモンを創った男』を読んだ。田尻氏は、幼少期に昆虫採集に夢中な少年で、「虫博士」と呼ばれるくらいに没頭したことが記されている。東京都の郊外に育った彼の環境は、まだ林や畑があり、自然の不思議や自然への興味が、当時少年であった彼の欲求を十分に満たしてくれる時代であったようだ。しかし、都市化は次第に郊外へも広がり、当時の環境とは一変したとある。古今問わず虫を収集したいという欲求は、当園の子どもたちの姿を見ても、男児に多く見られる傾向であると思う。彼もまた幼少期のそんな思いを持ちながら、ポケモンという様々なモンスターを収集していくゲームを創って行ったのであろうか。そう考えると、子ども時代の経験や興味は、積み重なって創造性を育む大切な基盤であるということも言える。
しかし、これ一つをとっても明らかに違うことは、自然の中で出会った昆虫の特徴や種類の多さに気づくだけでなく、自然の素晴らしさと同時に、自然の摂理を知り、残酷さに気づき、はかない小さな命に触れる体験ができるのが、実体験との違いである。この違いが非常に大きく、非常に大切な論点となるのである。
仏教では、業(ごう)を「なすこと」「行為」とし、そのなされる行為によって身、口、意に分類される。行為者の表に表されるものと、内面に潜んでいるものの目に見えない力は、善行と悪行として現れると説く。因果応報の中で、来世へと継続して働く力を業力という。ポケモンGOをポケモン業と考えてみると、大人は、子どもたちへ繋ぐ来世に向けて実体験からの学びを奪うことによって、バーチャルの快楽に溺れさせた心と身体、コミュニケーション能力はどうなっていくのか? 親子を軸とした家族の命で繋がれた愛着はどうなっていくのか? 今や人類史になかった「人体実験」を行ってはいないであろうか。善業と悪業のもとに人間性が問われている。
(論説委員・早﨑淳晃)
