ひとくち説法
2025年4月1日号
米国からの戒め
米国在住の知人から次のような話を聞いた。
とあるカフェに入ったところ、掲示された紙に、「90年代がクール(カッコいい)だぜ!」と書いてあった。その下に「スマートフォン(スマホ)ばかり見ている人は他のお店へどうぞ」と書き添えられていた。つまり、「まだスマホが作られてなかった時代を思い出せ」ということだ。
友人らと食事やお茶をともにする時、スマホをテーブル上に置いたり、かかってきた電話に出ることはマナーに反し、鞄などにしまっておくのが米国では常識だ、と知人は教えてくれた。たいせつなのは「対話」であり「直話」であると。
お釈迦さまは「舎利弗よ…」のように、目の前のお弟子たちへ語りかけた。その様子が法華経のなかにたびたび登場する。その温かい「語りかけの言葉」が、私たち自身へも向けられたものだととらえられたとき、教えのリアルはいっそう身にせまる。そのような心構えで法華経と対話したい。(新潟西部布教師会長・池浦英晃)

2025年3月10日号
必ず春がくる
世の中は、災害が多発しています。水害から復興した自坊・妙栄寺ですが、昨年の能登半島地震で本堂床が多少の波を打っております。しかし、我慢できる範囲です。当時住職だった師父は94歳、要介護3で、介護生活真っただなかです。先の見えない日々で、介護は続くよどこまでもです。
災害に遭った人も、日々の生活で苦しみを感じている人も、苦しいことはやはり苦しいのです。介護は大変だけど、父も私も、まだまだ体は丈夫。デイサービス、ショートステイで施設にも助けてもらっています。なのでもうすでに変化の人に出会っているのです。日蓮聖人は、 「法華経を信じ、お題目をお唱えしている人がもし人生の苦難に遭われたとしたら、季節の冬であると受け止めなさい。冬の後には必ず春がやってくる。古来冬から秋に逆戻りしたことはない」と励まされました。苦しい時は苦しいと言い、助けを求め、それでも諦めない、一緒に無理せずやっていきましょう。(新潟県東部布教師会長・望月是祥)

2025年2月20日号
仏さまと神さま
「仏さまと神さまはどう違うのでしょうか?」
と尋ねられました。私なりの解釈で「神社に神さまはいらっしゃいますが、神社には人がどう生きていけばよいのかという教えはありません。私たちには法華経というみ教えがあります。神社の境内には神さまのいわれはありますが、生きる教えなどはないと思います」と答えました。
次に「実家は〇〇宗で、法事などでお題目は唱えにくいのですが、いいのでしょうか」と尋ねられました。「実家でも神社でも、大きい声でお題目をお唱えできなくても、せめて心のなかでお題目をお唱えしてください。お題目は1つの仏神を称えるのではなく、妙法蓮華経という教えを信じていますという証なので、どこでお祈りしても良いのです」と話しました。
いろいろな宗教施設に行く機会があることでしょう。いつでもどこでも心に口に身にお題目を持ち、その光明に照らされてみてください。(三重県布教師会長・鷲阪仁昭)




















