ひとくち説法
2017年11月20日号
うちわの風
暑さのぶり返したある日のこと、月回向に伺ったお宅でお経を読んでいると、後ろから柔らかい涼やかな風を感じた。お経が終り振り返ると、そのお宅の奥さんが、うちわでゆっくりと私をあおいでいてくださったのだ。
少し前までは日常的にあったように思う、そんな光景が、何とも懐かしいような、最近は感じることのなかった心地よい風を感じた。
暑ければ、スイッチ1つで、エアコンや扇風機が動き出す生活。うちわすら使うことはなくなってきた現代では感じられない、人のやさしさのこもった風である。夏の暑い昼下がり、孫の昼寝を見守るおばあさんが、孫のためにゆっくりゆっくりうちわを動かすような、そんな風。
お経の中に「風動出妙音」という言葉が出てくる。風が動いて周りの人々の心に妙なる音が響くという。周りに向かって、相手に向かって、そんな風を送り続けたい。
(愛知県尾張布教師会長・三大寺聡温)
2017年11月10日号
でんでんむしのかなしみ
愛知県半田市出身の童話作家新美南吉の残した作品の中に「でんでんむしのかなしみ」という作品があります。
ある日、でんでんむしは自分の殻の中には「悲しみ」しか詰まっていないことに気づき、もう生きてはいけないと嘆きます。そこで別のでんでんむしにその話をしますが、私の殻にも悲しみがいっぱい詰まっていますと言い、また別のでんでんむしも同じことを言います。そして、最初のでんでんむしは「悲しみは誰でも持っている。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなければならない」と嘆くのをやめました。
自分の悲しみに心が囚われその不満を他人や社会にぶつける人が増えている今、この作品は私たちに悲しみに耐えることの大切さを教えてくれています。悲しみをいつまでも嘆くのではなく、悲しみを背負いながらも歩き続ける強さを私たちに伝えてくれていると思います。
(愛知名古屋布教師会長・竹内寳祥)
2017年11月1日号
仏の佐吉
昔、人びとから「仏の佐吉」と呼ばれ、美濃聖人と称えられた「永田佐吉」(1701~89)という人がいました。生い立ちは貧しく、早くして両親に別れ、商家に奉公しながら読み書き商いを覚え、苦労の末、綿の仲買人として自立しました。佐吉の商いはお客を信用してはかりを一切使わず、相手の言い値、言いなりで取引をしていました。さぞや大赤字…と思いきや、追いはぎにも「これじゃ足りなかろう」と家に招くほど情が深い佐吉を人びとは愛敬し、かえって繁盛しました。そして、豊かになった佐吉ですが、質素な生活は変わらずに、儲けたお金は石橋や道標の設置など地域のために使い、また、信心深い佐吉は村人が自由にお参りできるよう丈六釈迦如来胴像を村に寄進しました。人を信じ、人を愛した仏の佐吉。仏国土とはそういう人々が住まう処なのでしょう。
「仏佐吉さま 仏で暮らす 誰れも仏で世をおくれ」野口雨情
(岐阜県布教師会長・天田泰山)