ひとくち説法
2013年2月20日号
仏の種を育てる
最近の新聞、テレビなどのニュースで人間らしからぬ、おぞましい事件を見聞きする。
我々はこの世に生まれ、心の中には仏の種を宿している。それを成長させ、仏となる使命を持って出てきたのに、私たちの身には3つの毒を持っている。それはむさぼり、いかり、おろかさ。
むさぼりは我欲物欲。いかりとは、にくしみ慢心もふくまれる。おろかさは愚痴とか迷いなど。この3つの毒は、自分の身から出てきて、本来仏になるべき自身をおとしめ、おろかな行いをしてしまう。
我々は法華経のお題目を唱えることにより、我身の仏の種、仏性を呼び起こし、この3つの毒を抑えるために日々の信仰を重ねなければならない。
毎日の生活の中で仏種に向かい手を合わせる時、ご先祖の供養と同時に自身のこの3つの毒を抑え煩悩を起こさぬよう願うのが大切だ。
東京都南部布教師会長 中里 勝禮
2013年2月10日号
皆さんハッキリ見えていますか?
皆さんハッキリ見えていますか?
最近新聞の文字が見えにくくなり眼鏡店を訪ねた。
「老眼鏡を見せて頂けますか?」
「はい、シニアグラスですね」
そうか今はシニアグラスと呼ぶのかなどと考え多数の商品から数点選び試着してみた。なんと見るものがハッキリ、スッキリ見えるではないか。
歳と共に体の機能が衰えていくことは仕方ないがメガネひとつでこれ程違いがあることにショックを受けた。我々は経験を積んで多くを身に付けてきたが失った機能も多くあるのだろう。妙法蓮華経如来寿量品に「顛倒の衆生」とあるように真っすぐ素直な心で見ることを忘れ、霞んで見えていることに気づいていないのかも知れない。
経験と知識に胡座をかき周りの出来事をただぼんやり見てしまってはいないだろうか?
ハッキリと物事を見直すため、心に法華経・お題目のシニアグラスをしっかり掛け直してみよう。
東京都西部布教師会長 池田 順覚
2013年2月1日号
如是我聞
お経の最初は「如是我聞」と始まります。
「かくの如くわれ聞けり」と読みます。
お釈迦さまが説かれた教えは、多聞第一の阿難尊者から次の時代、また次の時代のお弟子さまへと伝えられてきましたから、私はこのように聞きましたという意味の「如是我聞」から始まります。
お弟子さまたちは、そのお言葉を、その一文字一文字を、生きておられるお釈迦さまそのものと、次の時代へ必死に残し伝えてきて下さいました。
ですから、日蓮聖人は「一一の文字は、皆、生身の釈迦牟尼仏なり」と尊ばれるのです。
私たちは、お釈迦さまの生きておられた時代のお弟子さまたちと同じように、お釈迦さまから、直接「如是我聞」していることになるのですね。
もうお解りですね。法華経を読み唱えている私たち自身が、「如是我聞」の「我」なのです。
「われも致し、ひとをも教化そうらえ」と宗祖が言われたように、法華経の絆を広げましょう。
東京都東部布教師会長 小山内功静