ひとくち説法
2015年10月20日号
仏さまはいつも一緒に
ある会社の社長さんが突然寺を訪ねてこられ、「仏さまの教えとはどういうことですか」と質問されました。そこで私は「明日の朝より、奥さまと一緒に起床し、そして台所に入り、新聞を読まず、テレビも見ないで、静かに朝食が済むまでいてください」と、お話しいたしました。
後日、その方がみえられて「ありがとうございました。お米を研ぐ音、漬け物を刻む音、野菜を洗い刻む音、普段あたりまえのように頂いていた朝食がこんなにも大変なことかよくわかりました。私自身の力で会社も家庭もやっていけるのだと、私に感謝しろと、思い上がっていました。それが誤りであったと気づくことができました。周りの人びとに支えられ今がある。私を支えていてくれる人たちに感謝しなければならないことに気づかせていただけたこと、とても感謝しています」と。
お題目の信仰を持つということは、周りに仏を見、自分の心の中にいる仏に気づくことです。
みんなほとけさま いのちに合掌
(愛知県名古屋市布教師会長・竹内寳祥)
2015年10月10日号
ぶたれ坊
江戸時代の終わり、鏡岩源之助(本名・加藤助三郎)という力士がいた。父は鏡岩濱之助。時の英傑、雷電為右ェ門に土を付けるなどの活躍をし、小結まで務めた名力士であった。立派な体躯に恵まれた助三郎、周囲の期待を背に角界に入り、父の四股名「鏡岩」を継いだ。2代目鏡岩の通算戦績は6敗4休。土俵上で一度も勝ち名乗りを受けることなく廃業した。故郷に戻った助三郎は宿屋を営んでいたが、奉公人をこき使うなど、地域に尽くした父とは反対に、悪い評判ばかりが聞こえた。そんなある日、妙泉寺大徳(岐阜市加納妙泉寺第13世本受院日芳上人と伝わる)の導きにより仏道に入ると、これまでの行いを反省し、中山道を行き交う人々のために茶を振る舞ってもてなした。傍らには自身の等身大の木像を置き、罪滅ぼしに棒で打ってほしいと乞うた。偉大な父との葛藤を離れて、我が道を見つけた助三郎。助三郎の木像は「ぶたれ坊」と呼ばれ親しまれている。
(岐阜県布教師会長・天田泰山)
ぶたれ坊
江戸時代の終わり、鏡岩源之助(本名・加藤助三郎)という力士がいた。父は鏡岩濱之助。時の英傑、雷電為右ェ門に土を付けるなどの活躍をし、小結まで務めた名力士であった。立派な体躯に恵まれた助三郎、周囲の期待を背に角界に入り、父の四股名「鏡岩」を継いだ。2代目鏡岩の通算戦績は6敗4休。土俵上で一度も勝ち名乗りを受けることなく廃業した。故郷に戻った助三郎は宿屋を営んでいたが、奉公人をこき使うなど、地域に尽くした父とは反対に、悪い評判ばかりが聞こえた。そんなある日、妙泉寺大徳(岐阜市加納妙泉寺第13世本受院日芳上人と伝わる)の導きにより仏道に入ると、これまでの行いを反省し、中山道を行き交う人々のために茶を振る舞ってもてなした。傍らには自身の等身大の木像を置き、罪滅ぼしに棒で打ってほしいと乞うた。偉大な父との葛藤を離れて、我が道を見つけた助三郎。助三郎の木像は「ぶたれ坊」と呼ばれ親しまれている。
(岐阜県布教師会長・天田 泰山)