ひとくち説法
2025年8月1日号
食べ物にも敬意を
「漫然と口にモノを運ぶな。何を前にし、何を食べているのかを意識しろ。それが命を食らうものに課せられた責任、義務と知れ」。このセリフは、私が好きな格闘マンガ、『バキ』の1シーンで語られるものである。
日本では、米一粒にも宿っている神さまに「頂きます」と手を合わせて感謝することで結界が解かれ、神代の世界と俗世であるこの世界に橋が架かり、栄養とご神気を頂戴できると考えられていた。ご神気とは、元気、やる気、根気という生命活動の源となるエネルギーだ。
そんな大切な食事が、スマホ片手にただ口に漫然とモノを運ぶ作業になってはいないだろうか。お経には、「六根清浄」という言葉が度々登場する。これは人間の五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と心(意)を清らかにすることを意味する。食事も五感で味わい、心が清らかになるよう努めなければ食べ物に失礼である。(京都府1部布教師会長・三木天道)

2025年5月1日号
たくさんの人の耳に
寒中に唱題修行をしている記事を「日蓮宗新聞」で目にします。私のお寺でも師父の代から、小寒に始まり節分まで唱題行脚を50年以上続けています。師父はお題目を1人でも多くの耳に届けることを目的に始め、私が引き継ぎました。
『涅槃経』に「毒鼓の縁」という言葉があります。毒薬を塗った太鼓を叩くとその音を聞いた人は死んでしまうが、その音が涅槃経であれば三毒(心の悩みや苦しみ)が消滅し救われるという一節です。日蓮聖人はこの言葉を用いて法華経・お題目を聞くだけでもご本仏とご縁が結ばれ救われることに繋がるとし、信仰者には耳に届ける行動を起こす必要性を『教機時国鈔』で説かれました。
1人でも多くの耳にお題目を届けるにはどんな方法があるでしょうか。SNS? YouTube? 僧侶と檀信徒全員で日時や期間を定め、同時多発的に唱題行脚で各自の近所を歩くのはどうでしょう。一層の信行増進に共に励みましょう!(富山県布教師会長・末吉正道)

2025年4月1日号
米国からの戒め
米国在住の知人から次のような話を聞いた。
とあるカフェに入ったところ、掲示された紙に、「90年代がクール(カッコいい)だぜ!」と書いてあった。その下に「スマートフォン(スマホ)ばかり見ている人は他のお店へどうぞ」と書き添えられていた。つまり、「まだスマホが作られてなかった時代を思い出せ」ということだ。
友人らと食事やお茶をともにする時、スマホをテーブル上に置いたり、かかってきた電話に出ることはマナーに反し、鞄などにしまっておくのが米国では常識だ、と知人は教えてくれた。たいせつなのは「対話」であり「直話」であると。
お釈迦さまは「舎利弗よ…」のように、目の前のお弟子たちへ語りかけた。その様子が法華経のなかにたびたび登場する。その温かい「語りかけの言葉」が、私たち自身へも向けられたものだととらえられたとき、教えのリアルはいっそう身にせまる。そのような心構えで法華経と対話したい。(新潟西部布教師会長・池浦英晃)




















