オピニオン
2023年7月1日
如来の説法は一相一味なり
妻は長女が幼稚園に入園して以来、次女、三女が高校の卒業を迎える24年間休むことなく、早く起きて子どもたちの弁当を作り続けてきた。妻には頭が下がる思いだ。「今までご苦労さま、ありがとう」の感謝の言葉しかない。昨年、三女が高校を卒業した。最後の弁当を食べて帰宅した時、空の弁当箱に「お母さん今まで朝早くからお弁当を作ってくれて有り難う。私も誰かのために作ってあげたい」と妻に対する感謝の手紙が添えてあった。妻は娘の心の成長を垣間見ることができて嬉しかったに違いない。
母親の味を味わい、その心を感じた娘。私たちは常日頃、見たり聞いたり味わったり、ふれあったりして生活しているのだ。法華経は普段の生活の中に教えがあると説く。如来の教えは常に1つの姿、1つの味でもって私たちに教えを示されている。私たちが今生きる苦楽の中に教えがあるのだと。
(長崎県布教師会長・今泉智薬)