オピニオン
2016年12月10日
辻説法って何だっけ
街の中心部に立ってマイクをもち、道行く人びとに向かって訴える。しばしば辻説法と称される。そして、その担い手は公職選挙立候補者や政治家関係がイメージされることが多い。日蓮聖人が鎌倉の辻々に立って教えを説いたことが広く伝えられている通り、本家はこちらの方なのだが。
先般、有志僧侶たちと機会をもった。「元祖辻説法です」と。無視される思いきや、喜捨箱に近づく人も。墨染めの衣に天台笠のパフォーマンス力だけではなかろう。「いのちに合掌」を世界中の大衆が希求する時代情況が、今ここにあるのだ。遅きに失した、の叱声も感じ取りながら。
他教団友人の語りを思い起こす。「坊さんたちは長い間、寺の中の厚い座布団に座って、何も仕事をせんかった」との門徒の声に発奮して、と。
まはや辻説法は本宗の専売特許ではない。「斯人行世間 能滅衆生闇」(如来神力品)の釈尊の金言は全ての人びとに開かれているはずだから。
(宮城県布教師会長・梅森寛誠)