論説

2023年10月10日号

人口減少社会とお寺の未来

今日、人生100年時代といわれるが、少子高齢化の進行により寺院を取りまく状況は大きく変化している。例えば昨今のお墓事情が顕著である。核家族化が進んで単独世帯が4割になり、墓地の担い手は減少して先祖を埋葬して継承する従来型の一般墓(家墓)の存続が困難になり、全国的に無縁墓も増加しているという。その反面、樹木葬や散骨、納骨堂など、子どもに引き継がないことを前提とした墓地などに関心が集まっている。その結果、継承者がいなく、やむを得ずに行われる墓じまいが増加し、筆者の自坊でも継承者のいない檀徒の顔が次々と浮かび先行きの不安が募る。
これを裏づけるように、2023年3月に出された全日本仏教会と大和証券の「仏教に関する実態把握調査(2022年度)報告書」によれば、お墓の移動意向についてお墓を移したい人は16・7%、すでに移した人が5・0%であり、合わせて21・7%あったという。その理由としては、「将来、家族の負担を軽減するため」「住んでいる場所から遠い」、そして「お墓を継承する人がいない」と続く。このように墓地に対する従来の意識も変化し、墓地継承者の不在によって檀家が減少することへの強い危機感を覚えるが、それは一部寺院の現象に留まらず、ひいては宗門全体に関わる問題ともいえよう。
急激な少子高齢化、人口の減少という社会構造の変化により、仏教界は今、大きな時代の転換期にさしかかっているといっても過言ではないだろう。歴史を振り返れば、明治維新後の神仏分離令によって、江戸時代から続いた檀家制度をはじめとして仏教界が大きく揺らいだ。その混乱期に、日蓮宗一致派初代管長に就任した新居日薩師は日蓮宗の教義を時代に即応して提示するとともに、宗派を超えて近代日本仏教最初の福祉事業である「福田会育児院」を設立している。こうした当時の社会の求めに応える事業の展開は、現今の仏教界に対して貴重な示唆を与えるものといえよう。
日蓮宗ではこれまで社会教導師の制度を設け、社会活動などに関する講習会を開催してその促進を図り、先の宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」においても社会教化活動が運動の中心となっていた経緯がある。日蓮宗の規程には、「本宗の寺院、教会、結社並びに僧侶は、社会の要請に応え得る社会教化事業又は活動を行わなければならない」(社会教化事業規程)とある。さらに寺院、教会、結社が行う社会教化事業や、僧侶の行う社会教化活動として民生、児童、社会福祉、あるいは教誨、更生保護、補導、社会教育並びに青少年育成、救援活動や国際協力に関するものなどが挙げられている。これら多様な活動の中から、僧侶自身がそれぞれに考えて取り組むことが望まれよう。
さらに他宗も含め全国各地の寺院では、学びの場としての寺子屋やお寺主催の婚活、こども食堂、人生の終末期をはじめさまざまな悩みの相談など、広範な活動が展開されている。過疎や人口減少で寺院の消滅すら叫ばれる時代には、こうした各種の社会事業や活動を通して地域社会との交流を深め、社会に貢献し、さまざまな苦悩を持つ人びとに寄り添うことが求められている。それによりお寺や僧侶に対する社会的評価が高まり、地域住民からも期待され、新たなご縁も生じることだろう。
妙法広布の基本はまずは檀信徒教化にあるが、大きな時代の曲がり角にあるなか、立正安国の精神のもとに「社会に開かれた寺院像」を描いてお寺の未来を拓いていきたい。
(論説委員・古河良晧)

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2023年10月1日号

佐渡・身延で聖人が得た「確信」

日蓮聖人は、数えの50歳(文永8年・1271)から53歳まで、流人として佐渡国で過ごされました。自然環境の厳しい佐渡でのご生活は、老いを迎えられた聖人にとって、想像をはるかに超える困難な状況でありました。それは、聖人が鎌倉幕府の下した流人ですから、周囲の人びとは、罪人として受けとめ、種々に怨をなすのです。夜陰に乗じて、聖人の生命をうばおうとする人びともありました。
あるいは、聖人は仏教の教主がお釈迦さまであることを主張され、『法華経』の「如来寿量品」に説かれる久遠の釈尊を中心とする仏教観を掲げられたのです。そのことは、当時多くの人びとが心を寄せた西方浄土の阿弥陀仏信仰や真言宗の大日如来信仰を基とする人びとにとっては、みずからの信仰が批判されることですから、聖人に怒りをあらわにしたのです。
このような境遇にあって、聖人の教えに耳を傾け、聖人を生命がけでお守りしようとする人物もありました。それは、阿仏房夫妻、国府入道夫妻です。阿仏房、国府入道は、聖人が流罪赦免後、ともに甲斐国(山梨県)身延山に入山された聖人を数度にわたって訪問しています。これらのことは、聖人が阿仏房の妻、千日尼に与えられた手紙、同様に国府入道の妻に与えられた手紙からうかがえます。
聖人にとっては、佐渡流罪は、生命にかかわる厳しい処断でありました。しかし、法華経に説かれる経文を、みずから身体をもって証明しようとされる聖人の法華経の読み方は、勧持品の「数数見擯出」(しばしば修行の場所から追放される)の経文を、2度の流罪をとおして、如来の教えが真実であることを証明した、とのご自覚を鮮明にされることになります(『寺泊御書』文永8年)。そのご自覚のもとに、逆境にありながらも、長文の『開目抄』(文永9年2月)を撰述され、私たちに、聖人が末法の世に釈尊から遣わされた「法華経の行者」であることを諭されているのです。
ついで、聖人52歳の文永10年4月25日、聖人が出世の本懐として認識されている『観心本尊抄』を執筆されることによって、久遠の釈尊は、深い教えのお題目を末法の世の人びとを救済することを目的として、地涌の菩薩(上首たる上行菩薩)に手渡され、末法万年の私たちが最も尊い教えとして、すなわち、私たち末法の凡夫救済の要法として、付嘱されていることを顕示されることになります。
日蓮聖人は、天台法華宗の僧として出家されました。しかし、大恩教主釈尊に直参される聖人にとって、大恩教主釈尊のご本懐は、末法の人びとを救うことにあることを感得され、2度の流罪を体験されることによって、自己が釈尊から末法の世に遣わされた如来の使者、すなわち上首唱導の師(上行菩薩)としてのご自覚に基づいて、『観心本尊抄』を執筆されているのです。
聖人は、足かけ4ヵ年ののち、佐渡流罪の赦免を経て、身延山へご入山になられました。今年は、まさに750年に当たるのです。
聖人は、9ヵ年間身延山に在住されます。それは、『観心本尊抄』において明らかにされた、最も大切なお題目、つまり久遠の大法がいよいよ広まるべきことを確信され、重要な著書を著わされます。それが、『撰時抄』、『報恩抄』にほかなりません。
これらのことから、聖人の身延山在住の9ヵ年は、私たち末法の凡夫救済を確信された大法広布としての大切な期間なのです。  (論説委員・北川前肇)

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2023年9月10日号

いただきます

京都の清水寺・成就院に、圧倒的なイワシの大群の中に1人の少女がたたずむ中島潔の襖絵がある。金子みすゞの「大漁」の詩を題材にしたものである。
「朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮の/大漁だ。/浜は祭りの/やうだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。」(金子みすゞ『大漁』)
子どもの頃、初冬の近隣の漁港はハタハタ漁でにぎわい、毎日の食卓がハタハタであったことを思い出す。同級生の弁当のおかずがみんなハタハタであった。
私たちは海の幸の魚介類を食料としていただき、大漁であることは喜ばしいことととらえがちであるが、魚介類の視点でとらえると立場が逆転することをみすゞの詩は見事に表現している。日頃そのことに無自覚である身にとっては、背筋が凍る思いである。
文殊師利菩薩は海中で無数の衆生を教化した(法華経提婆達多品)。8歳の龍女もその中の1人で、子どもであり女性であるにもかかわらず、文殊師利菩薩の説く法華経を聴聞することによって子どものまま、女性のままで成仏したとされている。
ということは、私たちが食料としていただいている魚介類は、かつて海中で文殊師利菩薩の法華経の教化を受けたものたちの末裔、つまり、仏の種が植えられたものたち、み仏の子どもたちであるといっていいであろう。
みすゞは、大漁にわく浜と、その弔いをする海中とを視点を変えて描写しているだけではなく、また人間も魚介類もともに大切な命であることをいっているだけではなく、海中の魚介類も実は仏法の教化を受けていた尊い命であることを暗に示唆していると理解したい。
『いのちに合掌』の対象は人間だけではない。日々食糧としていただいている魚介類も、すでに遠い昔に『法華経』の下種を受けた尊い「いのち」である。かといって自然のままですべてが成仏するということではない。
私たち人間は動植物の尊い命を食糧としていただかなければ生きていくことができない。根源的なジレンマである。日蓮聖人はこのジレンマをどのように乗り越えよと教えているのであろうか。私たちは、尊い命を食糧としていただいた我が身を成仏させることによってしか、私たちのために命を捧げてくれた動植物に報いる道はないのではないか。私たちの心身の栄養となった動植物に、わが身と共に本仏釈尊からお題目の結縁を請い、ともに成仏を願うことがお題目を身に読む生き方ではないかと私は思う。
人間が排出するプラスチックなどの廃棄物や有害物質によって海や川が汚染され、地球規模の環境汚染が巡り巡って人間の生命を脅かしていることが近年注目されている。人間中心の視点で考えれば、環境汚染が人間の生命を脅かすことになるといえようが、みすゞ的視点に立てば、環境汚染は人間だけではなく魚介類を含めたすべての生き物の生命を脅かすことになる。海や川の中に生きている多くのみ仏の子どもたちの命を脅かすことである。そのようにとらえて環境の保全を願うことが法華経的視点であるといえよう。
海や川や大気を汚染することは、人間だけではなく、魚介類を含めた多くの動植物、地涌の菩薩たちの生命を脅かすこと、ひいては仏の子の命を脅かすことになり、この世にみ仏の浄土を顕現するという釈尊の付託に反することになるのだ。
毎食前の「いただきます」に、「お題目によって、共に成仏しましょう」という意味を込めたい。  (論説委員・柴田寛彦)

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