論説

2023年5月20日号

お寺を安らぎ求める人びとの居場所に

 毎朝、きまって境内の縁台に腰掛けてひと休みしている人、昼どきに休憩に来る人。自分の居場所を求めて足を運ぶ人びと。この人たちにとって、お寺の境内は少しだけほっとする自分の居場所なのだろう。
 しかし、そのお寺を取りまく環境は、この3年間のコロナ感染症の影響で大きく変化した。一時期は檀信徒もほとんどお寺に足を運ぶことがなく、信行活動など従来の活動ができなかった。そうしたなか、これまで不安にかられ落ち着かない日々を過ごしてきた人びとの心をふっと楽にすることができないか、とお寺を人びとの居場所として開放することを考えた。
 居場所とは人がいるところ、その人が心を休めたり、活躍したりできる環境である。例えばお寺の施設や境内を開放して、檀信徒はもとより地域住民のたまり場、交流の場、安らぎと憩いの場という居場所の1つとすることである。これも地域社会へのささやかな貢献の一環と考えている。もちろん、こうした活動をするための環境・条件はまちまちであろうが、それぞれの状況のなかでできることを考えればよいと思う。
 社会学者のレイ・オルデンバーグは、情報、意見交換、地域活動の拠点として機能する「サードプレイス」の概念を社会学の知見から多角的に論じている。それは、自宅でも職場でもない「第3の場所」を意味する。家族や職場の同僚から離れて、居心地が良く利害関係のないコミュニティーのなかで自分らしく過ごす場で、例えばカフェ、本屋、公園などを挙げている。
 お寺は本来、信仰と祈りの道場であり、仏事法要の場であるが、そこはまた老若男女の集まる場である。江戸時代には富くじ、相撲、芝居小屋など、お寺の境内は地域社会をまきこんだ娯楽場の側面も持っていた。また寺子屋などで人びとに教育を施すなど、地域住民の学びや社会生活を豊かにする場でもあった。いわばお寺は地域住民の交流の場であり、文化発信の拠点でもあった。
 もちろん寺院として、僧侶としての聖なる面と、社会の俗なる面とのバランスをとることは大切である。常にお寺の原点に立ち帰り、祈りや先祖供養を通して人びとの生老病死の四苦を受けとめ、それを支える信仰の場としてのお寺の原点を堅持することはいうまでもない。
 筆者の寺でもこれまで信行会や子ども会、花まつりやお会式万灯行事、落語会や茶道教室、ヨガスクールなどを開き、檀信徒や地域の人びとが参加できる機会を設けてきた。さらにこれを発展させて地元の包括支援センターと連携し、お寺を会場とした居場所作りの活動に入る予定である。仮称「寺子屋やくも」といい、地域住民が集い、住職の話や学びがあり、健康体操や各種のイベント、交流の時間を設けて心和む場をめざしていく。病気や障がい、高齢化に悩む人、人間関係や仕事に悩む人、大切な人を失った人、日々の生活のなかでさまざまに苦悩する人に寄り添い、耳を傾け、安らぎの場を提供できればと願っている。
 急激な少子高齢化、ほころび始めた檀家制度、さらに寺院消滅とまでいわれる今日この頃、社会から必要とされるお寺とは何だろう? 地域社会の役に立ち、地域の人びとから信頼され、頼られるお寺とは…。
 それは社会との関係性なくしてはあり得ない。合掌、礼拝を通して、地域の人びとが祈りや感謝するための場、地域の安らぎの場としてのお寺である。そんなお寺の将来を描いていきたいと考えている。(論説委員・古河良晧)

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2023年5月1日号

宮沢賢治に菩薩道を学ぶ

 宮沢賢治(1896~1933)が、故郷の岩手県花巻の実家で満37歳の生涯を閉じてから、今年は満90年を迎えます。
 賢治は生前、1冊の詩集(『春と修羅』)と1冊の童話(『注文の多い料理店』)の2冊を刊行していることから、彼を評するとき、詩人であり、童話作家と見なすことが一般的であるように思われます。
 けれども、彼の短い生涯を丹念にたずねてみますと、詩人、童話作家の側面に加えて、地質学、土性学、鉱物学などを盛岡高等農林学校で研究し、専門的知識に裏づけられたことで、「稗貫郡土性調査」に重要な役割を果たしています。それは関豊太郎博士の指導によるものです。
 さらに、18歳のとき島地大等編著『漢和対照妙法蓮華経』に出会ったことから、幼少年期からつちかわれた信仰を基として、さらに熱心に仏教研鑽に励むことになります。ことに24歳のときには、いとこの関徳弥とともに東京に本部を置く国柱会へ入信し、日蓮聖人のご遺文や田中智学の著書、講義録などを読破して、その法華経信仰は生涯変わることはありませんでした。
 しかも、国柱会への入会をきっかけとして、国柱会本部で出会った理事の高知尾智耀氏のすすめもあって、猛烈と童話創作に没入することになります。
 その後、妹トシの発病を機に花巻へ戻り、その地で農学校の教諭として熱心に若き少年たちの教育に当たることとなります。教諭としての生活は、25歳から30歳におよびますが、その間、詩集と童話集を刊行しているのです。
 その後賢治は、教育の場よりも農民として大地に生きる方法を選取することになります。
 30歳で花巻農学校を退職した賢治は、下根子桜の別宅を中心に、花壇を作り、開墾し、さらにレコード鑑賞会や合奏練習、文学論、宗教論を議論するなど、青年を中心とする集まりを設け、『農民芸術概論』の理念を掲げて、活動を展開するのです。また農民に対して無償で「肥料相談」に応じる社会的活動も同時に行い、これは終生変わることはありませんでした。
 以上のように、概略的に彼の歩みをたずねてみても、賢治の活動の多様性がうかがえ、賢治を文学的側面だけで捉えることは不可能です。
 宮沢賢治研究の第一人者であった天沢退二郎氏(1936~2023)は、賢治の評伝を紹介するに当たって、①詩人 ②童話作家 ③農芸化学者 ④農村指導者 ⑤宗教思想家の5つを掲げています(『日本大百科全書』)。これらの5つの側面は、凡人には容易に近づくことが困難な世界であることはいうまでもありません。
 私は、学生時代から花巻や盛岡の地を訪問し、天沢氏が紹介する賢治の⑤宗教思想家の面からわずかながら賢治の生き方をたずねてきました。それは賢治が18歳のとき法華経に出会い、37歳の臨終に当たり、『国訳妙法蓮華経』1千部の刊行を家族に依頼し、翌年その遺言が果たされたこと、その生涯が代償を求めない菩薩としての誓願に基づくもの、という側面に感銘を受けたことによるものです。
 いまあらためて、思想的に混迷に満ちた現代社会において、いかに地涌の菩薩として生きるべきかを考え、あるいは日蓮聖人門下の1人としてどのように自立した生き方を選ぶべきかをたずねるとき、賢治の遺した多くの作品を指南とし、その生き方を1つの指針にしたいと思っています。
    (論説委員・北川前肇)

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