論説

2021年8月20日号

「信」を育む身延山御廟域

 日蓮宗の総本山である身延山久遠寺は祖山という。「祖山は祖廟格護の霊山として、本宗の全員が尊崇護持する」と『日蓮宗宗憲』第12条に謳われている。
 祖廟ならびに御草庵跡、歴代墓所や直弟子直檀廟などの浄域の保全と守衛、関係法務全般を行うのが御廟法務所である。ここでは祖廟の尊前に薫香を絶やすことなく浄花を手向け、常随給仕に努められている。志があれば、尊前の献香献花は、御廟法務所で直接あるいは郵便でも申し込み可能で、全国の寺院や檀信徒の浄納を受け付けている。また、秋山義行別当の筆による浄域にちなんだ水彩画と御遺文の紙面法話が記された教箋が授与されている。これは月がわりの内容であるため、月参りごとの信行の証ともなろう。
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、祖廟輪番奉仕の数も激減するなか、格段の感染防止対策を施して実施する寺院もあるという。他方、家族単位など少人数での参拝や前述の献香献花料浄納をもって給仕や奉仕にかえる人もいる。
 月刊『みのぶ』誌の「鷲峰の風光~御廟通信」は、当時、別当職であった髙野玄隆師による連載で、令和元年9月号では「祖廟浄域給仕は最も厳」と題し別当としての心得を吐露されている。
 文中、髙野師は信徒から寄せられた手紙を引用。ある信徒は1人で参詣し、法務所で1日分の献香献花料を浄納し御廟所、御草庵跡を心おだやかにお参りできたこと。あらためて身延山には日蓮聖人がいらっしゃるのだと感じたこと。そして、またこの聖地に参拝できるよう毎日の勤行を欠かさず信行に励み、再び身延山に帰ってきたいとつづられていた。
 また、88世法主・望月日滋猊下は、就任の折に『みのぶ』誌で「(日蓮聖人の御廟をお守りし、お給仕申し上げる法主という役目の)大役を立派にお努めできるかどうか、未だ、信薄く行足りない私としては、自ら顧みて忸怩たるものがある。私は今より自らの姿勢を正し、私を捨て、生まれ変わって大聖人にお給仕申し上げねばならぬと深く確信している次第である。祖廟浄域給仕は最も厳である」とのご挨拶が掲載されたことを紹介している。
 祖廟塔は御廟塔ともいう。今に見る石造八角の祖廟塔は、旧来の木造八角の廟塔を模して昭和17年(1942)に竣工。この塔中に、聖人の御舎利を安んじた創建当初の五輪塔が今も奉安されている。いわんや御草庵跡は、宗祖の謦咳がしみ込んだ浄域である。
 小稿執筆は7月下旬。新型コロナウイルス感染の「第5波」が首都圏・関西圏を中心に鮮明になりつつある。コロナ禍によって社会とそこに生きる人間の闇が、見え隠れする時世に在って、生きるのが辛くなる人もいよう。祖廟浄域は静かなたたずまいの中に深い救いと安らぎを私に与えてくださる場所。何も問わず、責めることなく、ただ此処に居ること受け入れて頂ける場所である。人は「帰れる」場所があることで、身と心、そして魂までもがつながりを感じられるのではあるまいか。
 筆者は本年度第1期信行道場生と共に35日間、御廟所に参り法味と誓願供養を捧げた。修行に終わりはないが、修了間近を迎え、法務所の了解を得て祖廟拝殿の清拭のお給仕をさせていただいた。修行僧はただ黙したまま清拭を行う。修行僧の手はあたかも生身の御祖師さまの御身を拭うが如く丁寧で、眼には涙を浮かべていた。彼らは確かに宗祖の御声を聴き、つながりを感じていたに違いない。
(論説委員・村井惇匡)

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2021年8月1日号

 私が日蓮聖人(1222~82)のご生涯を、学術研究の立場から、はじめて学ぶ機会を得たのは、立正大学仏教学部宗学科に入学してからです。それ以前の幼少年期にあっては、菩提寺へ両親とともに参詣した折のお説教や、周囲の人たちが語ってくださる聖人に関する話。あるいは本堂の欄間に彫刻されている聖人のご生涯のいくつかの場面。また聖人のご一代の絵画が、渡り廊下の壁面に掲げられる場面。さらには、博多の東公園にそびえる日蓮聖人銅像の台座の部分に浮き彫りにされている彫刻などが想起されます。
 また、子どものころから映画を好んだ私は、小さな街に5軒もの映画館があったことから、小学校から映画鑑賞として出掛けたこともあり、分けても小学5年生の昭和33年(1958)10月に、両親や友人たちと数回鑑賞した長谷川一夫主演の『日蓮と蒙古大襲来』が印象深く残っています。
 これらの学びは、日蓮宗との連関のうえでの日蓮聖人の伝記ですが、立場を異にするキリスト者の、日蓮聖人を称讃する著書との出会いは、衝激的でした。すなわち、無教会派の内村鑑三(1861~1930)著『代表的日本人』(岩波文庫)です。本書の執筆目的は欧米諸国の人たちに、日本および日本人を紹介することを目的とするものです。岡倉天心(1863~1913)の『茶の本』(ニューヨークで出版)、新渡戸稲造(1862~1933)著『武士道』とともに、3部作として数えられるのです。
 『代表的日本人』に描かれる人物は、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、そして日蓮聖人の5人です。仏教者は、日蓮聖人のみですが、他の4人も歴史に残る社会貢献者、思想家であります。
 執筆者の内村鑑三は、新渡戸稲造とともに札幌農学校に学び、キリスト教信仰に目覚めた人物であり、また活動家であることと軌を一にしています。
 では、内村は、日蓮聖人のご生涯をどのようにして知り得たのでしょうか。現在、立教大学名誉教授で、内村鑑三や近代日本キリスト教の研究者である鈴木範久氏は、『「代表的日本人」を読む』(大明堂、1988)の著書で、幕末維新期の日蓮聖人遺文の校訂者である小川泰堂居士(1814~78)が、慶応3年(1867)に脱稿し、その後、版を重ねている『日蓮大士真実伝』5巻に依っていることを指摘されています。
 泰堂居士の本は、今日から見れば、実証的、客観的歴史研究書ではありませんが、聖人に関する伝説や縁起や、奇跡の部分が多く折り込まれ、聖人を讚仰する情熱が十分に汲み取れるのです。
 そのことからも、内村のキリスト教への入信が『余は如何にして基督信徒となりし乎』(岩波文庫)にその情熱が横溢していることからも、両者の親和性が看取できます。
 今年の6月5日から28日まで、日蓮聖人降誕800年を記念し、東京の歌舞伎座で『日蓮―愛を知る鬼(ひと)』が上演されました。コロナ禍のために、限られた上演時間と、制限された観客の中での舞台です。60分ほどの枠の中で、日蓮聖人を「愛を知る鬼(ひと)」「慈愛に生きる人」として描かれている演出は、みごとなものであったと思われます。
 私は、宗祖日蓮聖人を「慈悲の人」として渇仰恋慕し、日々刻々を過ごすことができれば、無上の幸せであると思っています。
(論説委員・北川前肇)

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新年のご挨拶。

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