論説

2015年7月20日号

法器養成の原点・信行道場の歴史

茨城県常陸太田市にある梅津会館は、当地出身の梅津福次郎(1858~1942=以下梅津氏)が太田町役場として建築寄進したもので、現在では郷土資料館となっている。
保管されている梅津氏に関する資料中、「分骨葬儀弔辞」(太田町長武藤常介)によると、梅津氏は安政5年茨城県大田村(現常陸太田市)に生まれた。23歳で単身北海道函館に渡り、納豆・鮭塩引・昆布など海産物の商売が大当たりし中心街に店舗を構えた。誠実な人柄と人一倍の努力で販路は道内全域から遠く樺太・千島まで広がり一代で巨額の富を築いた。その一方で故郷常陸太田への恩返しを忘れなかった。大正から昭和初期にかけ太田町役場・太田高等女学校(県立太田第二高等学校)・西山修養道場(県立西山研修所)・若宮八幡宮社務所などを建立寄進している。殊に日蓮宗の信仰が篤く函館實行寺や水戸久昌寺の再建復興にも尽力している。
同館には梅津氏が身延山信行道場を寄進した関係資料(梅津家寄贈)が保管されている。「望月日顕法主信行道場大講堂寄進依頼手紙」・「望月日顕法主寄進承諾礼状」・「身延山山納證(証)」・「信行道場新築設計見積書」・「日蓮宗信行道場大講堂略図」などである。昭和12年3月18日付の望月日顕法主の手紙には「宗門にても宗立として身延山信行道場を設立いたし、僧侶は公私の学校卒業にても規定の修行を身延山にてやらねば其の資格を有せざる事…右に依り過日御話し候、水戸西山公の古跡青年修養道場御設立の如く、日蓮宗第二世の僧侶の修養道場御寄進にあずかりたく依って身延山萬世不滅生きた記念を造る…」とある。また昭和13年8月14日付同手紙には「其の後はたえてご無沙汰申上の所、去る一日突然発病自他共に驚愕仕りに、其の前後の模様は實行寺望月日英より御聴取り存じ候。次に先般昨年渡函の際、御願申上置きし信行道場一基建立御快諾の趣…不取敢御礼状は柴田執事長の名義を以て申上げ置き、老衲は医師の勧告により暫時控え居り…」とある。  さらに身延山山納證には昭和13年9月から同15年6月までに梅津氏が累計2萬(万)2千円の浄財を寄進したことが記されている。これらの資料から身延山望月日顕法主が渡函して信行道場大講堂寄進の依頼をし、快諾した梅津氏が数回に亘って浄財寄進し、設計や見積りにまで関わっていたことが理解できる。
明治から大正にかけて宗門は激動期を迎えた。宗派名が公認され次の課題は、日蓮宗第2世の僧侶の信行のあり方だった。宗門の次世代を憂いた第29代管長望月日顕法主が、身延山萬世不滅の回生策として提唱したのが祖山での信行道場開設だった。梅津氏は宗門財政の極めて困窮な時代に、裸一貫で天秤棒を担ぎ商売一筋で得た蓄財を、次世代を担う日蓮宗僧侶の修行充実のために浄財として寄進したのである。
日蓮宗公認の僧侶になるためには信行道場での結界修行が必要不可欠である。今、宗門では「宗祖降誕八〇〇年慶讃」事業の一環として信行道場大改修が計画されている。訓育主任の経験から、環境の安全確保や法要実習の効率化及び研修能率強化のための整備、バリアフリー化など修行環境の整備は急務だと思う。同時に道場建立の歴史を再確認することも意義深いことだろう。信行道場は昭和12年8月1日の開設以来、今年で80年目を迎えた。大講堂の入口には望月日顕法主揮毫の「信行道場」扁額があり、その前庭には梅津氏の功績を伝える碑文が佇んでいる。
(論説委員・奥田正叡)

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2015年7月10日号

現代社会の片隅で

日本国内の貧困率が拡大し、先進国ではアメリカに次いで世界第2位になったというニュースが頻繁に報道されている。貧困率とは可処分所得の中央値の半分(昨年は122万円)以下の収入しかない世帯の割合を指し、16㌫を超えた。そこでは子どもたちが朝食抜きで生活している。満足に食べられる食事は学校給食だけで、夕食はカップ麺一つというのが通例とも聞いた。給食のない長期休み明けには体重の落ちた児童生徒が増えるという報告もある。
食費に余裕がないとなれば、他の部分でもかなり苦労しているはずだ。案の定、高等学校では修学旅行費用の積み立てができない生徒が同じ割合でいる。高校生なら家計に理解もできるだろうが、児童たちは悲しいだろう。子ども向けのファッション雑誌が氾濫する時代だ。服装も気になるに違いない。
筆者が育った戦後間もない時期はかまどで煮炊きをし、薪で風呂を沸かせていたから薪割りが帰宅した子どもたちの日課だった。煙突掃除もさせられた。冷蔵庫はないから工夫して食料を保存したものだ。タライと洗濯板が必需品だった。服装はといえば従兄弟が着ていた中古だった。それが何も辛くなかったのは誰もが同じだったからだ。
昭和30年代になって電化が進み、数年のうちに全国に普及した。ほとんどが同程度の経済状態だったからだ。気がつけば、どの家にも電気製品が所狭しと置かれ「電化生活」が定番になっていた。その後、一億総中流などと言われ始めた。格差の少ない良い時代だと思っていたが、この時代に辛い生活をしていた人もいた。弁当を作ってもらえず昼食時間は校舎の屋上で水を飲んで過ごしていたという同級生の話を後に聞かされた時には申し訳ない思いで一杯だった。
悪い人が貧しくなるのではない。貧しいことは悪いことでもない。ただ、周りが当然のようにしていることができないのは悲しいだろうと思う。それが子どもならなおさらだ。
私たちは、毎日食事をいただくことで身体を養い、信仰を持つことで心を養わせていただいている。心も身体も表裏一体である。できることなら貧しい人たちに食を施したい。それが叶わないのなら「せめて」心の支えになりたい。が、そこですらお役に立っているという実感がない。
斎場で葬儀社の社員と立ち話になった。最近は葬儀の形態も変わったという話から、某寺の話題になった。生活保護を受けていた方の火葬の折、集まっていた遺族や親族が多いのに気づいた僧侶が「こんなに大勢親戚がいるのなら皆からお金を集めてしっかり葬儀料を払いなさい」と発言したそうだ。その場に居合わせた職員や葬儀社の社員達は唖然としたという。子どもたちに満足な食事を与えることもできないほどの赤貧生活をしている家庭に、多額の葬儀料を請求するという感覚はどこから生まれてくるのだろうか。
散骨や直葬に危機感を抱く寺や僧侶が今後の寺門運営を心配し始めている。墓を含めて供養など不要と言い切る人たちも増えてきた。仏教が死者の供養だけを目的とするものではないとはいえ、真剣に考えなければならないのだが、問題は今起きていることの要因に、僧侶に対する社会の批判が含まれていることに気づいていない点だ。
寺と僧侶に対する社会の評価は明らかに下がり始めている。これを看過すれば、仏教そのものの凋落にも繋がりかねない。その時、釈尊や宗祖になんと詫びたらいいのだろうか。
(論説委員・伊藤佳通)

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2015年7月1日号

病によりて道心はおこり候か

(1)「めまい」の発作
高校生の時「盲腸」の手術をし、その後、胆石が大きくなって「胆のう」を取る手術をしたが、それ以降30年ほどたまに風邪を引くぐらいで元気に仕事をし、丈夫に過ごしてきた。
昨年11月22日、本堂で法事の読経中、急に目がまわりだし、左下に引っ張られて倒れ込んでしまった。もちろん初めての経験。それから毎日、1日3~4回と急に「めまい」の発作を起こして倒れるので、地元の医者にみてもらい、脳の検査も異常なしで薬を処方され、毎日朝昼晩と服用したが少しもおさまる気配がないので、埼玉医大に専門の医師がいるというので今年の1月にみてもらった。
いろいろな検査の後、「良性発作性頭位めまい症」と診断された。耳の三半規管の病気で、中の粒子が動くと「めまい」を起こすのだという。今度は薬は一切なし。頭をまわしたり、左右に曲げたり、前後に倒したり、椅子から立ち上がってすぐに座ったりの8種類の運動を1日3回、1ヵ月で治りますといわれ、一生懸命取り組んだが、結局4ヵ月かかり5月に入って「めまい」が消え、普通の元気を取り戻した。
(2)病とは
病気の最中、息子たちもよく法務を助け、家内のありがたみも特に身にしみた。家族の絆、大切さも実感した。
日蓮聖人はご病気のご信徒に対し、いろいろと病気に対する注意や心がまえ、ご法門の教えのことなどを書き送られているが、正直、そのお言葉が自分の心まで届いていなかった。あらためてご遺文にたずねたが、中でも、夫が重病となり、その病が治ることを祈って髪を剃って尼となられた駿河の「妙心尼」へのお手紙『妙心尼御前御返事』のお言葉に特に心打たれた。
その内容は①病は求道のよき縁となること ②「妙法蓮華経」のお題目こそ病の良薬であること ③一心にお題目を信唱して仏のあたたかいみ心をいただくこと ④病気だから死ぬとは限らないこと ⑤この病は「仏のはからい」と受けとめること。そして「病によりて道心はおこり候か」とさとされ ⑥日蓮は『法華経』を信じることにおいては誰にも負けることはない。世界中で第一である ⑦「妙法五字」は現世の良薬、日蓮聖人は「未来の導師」である ⑧『法華経』があなた方を見捨てるはずがない。信心堅固に「たのませ給へ、たのませ給へ」「また人の死ぬる事はやまいにはよらず~病あれば死ぬべし、という事不定なり またこの病は仏の御はからいか~病によりて道心はおこり候か」(『妙心尼御前御返事』)
(3)求道心を
「妙心尼」は、夫の病気「なが病にしづみ」が治ることを祈って髪を剃って尼となられた。そのふるまいをどうしてみ仏が哀れと思わないはずはない。法華経が見捨てるはずがない。
「病気はたしかにつらく悲しい。でも病気に負けて悲観するだけでなく、病気をのりこえてほしい。病気で悩むことによって、仏の道を慕い、仏の道を求める「求道心」「仏道心」が芽生えることを願っている。なぜならみ仏は「病気にかかった人こそ、仏になれると説かれているからです」と結ばれた。
(論説委員・星光喩)

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