2015年7月1日
病によりて道心はおこり候か
(1)「めまい」の発作
高校生の時「盲腸」の手術をし、その後、胆石が大きくなって「胆のう」を取る手術をしたが、それ以降30年ほどたまに風邪を引くぐらいで元気に仕事をし、丈夫に過ごしてきた。
昨年11月22日、本堂で法事の読経中、急に目がまわりだし、左下に引っ張られて倒れ込んでしまった。もちろん初めての経験。それから毎日、1日3~4回と急に「めまい」の発作を起こして倒れるので、地元の医者にみてもらい、脳の検査も異常なしで薬を処方され、毎日朝昼晩と服用したが少しもおさまる気配がないので、埼玉医大に専門の医師がいるというので今年の1月にみてもらった。
いろいろな検査の後、「良性発作性頭位めまい症」と診断された。耳の三半規管の病気で、中の粒子が動くと「めまい」を起こすのだという。今度は薬は一切なし。頭をまわしたり、左右に曲げたり、前後に倒したり、椅子から立ち上がってすぐに座ったりの8種類の運動を1日3回、1ヵ月で治りますといわれ、一生懸命取り組んだが、結局4ヵ月かかり5月に入って「めまい」が消え、普通の元気を取り戻した。
(2)病とは
病気の最中、息子たちもよく法務を助け、家内のありがたみも特に身にしみた。家族の絆、大切さも実感した。
日蓮聖人はご病気のご信徒に対し、いろいろと病気に対する注意や心がまえ、ご法門の教えのことなどを書き送られているが、正直、そのお言葉が自分の心まで届いていなかった。あらためてご遺文にたずねたが、中でも、夫が重病となり、その病が治ることを祈って髪を剃って尼となられた駿河の「妙心尼」へのお手紙『妙心尼御前御返事』のお言葉に特に心打たれた。
その内容は①病は求道のよき縁となること ②「妙法蓮華経」のお題目こそ病の良薬であること ③一心にお題目を信唱して仏のあたたかいみ心をいただくこと ④病気だから死ぬとは限らないこと ⑤この病は「仏のはからい」と受けとめること。そして「病によりて道心はおこり候か」とさとされ ⑥日蓮は『法華経』を信じることにおいては誰にも負けることはない。世界中で第一である ⑦「妙法五字」は現世の良薬、日蓮聖人は「未来の導師」である ⑧『法華経』があなた方を見捨てるはずがない。信心堅固に「たのませ給へ、たのませ給へ」「また人の死ぬる事はやまいにはよらず~病あれば死ぬべし、という事不定なり またこの病は仏の御はからいか~病によりて道心はおこり候か」(『妙心尼御前御返事』)
(3)求道心を
「妙心尼」は、夫の病気「なが病にしづみ」が治ることを祈って髪を剃って尼となられた。そのふるまいをどうしてみ仏が哀れと思わないはずはない。法華経が見捨てるはずがない。
「病気はたしかにつらく悲しい。でも病気に負けて悲観するだけでなく、病気をのりこえてほしい。病気で悩むことによって、仏の道を慕い、仏の道を求める「求道心」「仏道心」が芽生えることを願っている。なぜならみ仏は「病気にかかった人こそ、仏になれると説かれているからです」と結ばれた。
(論説委員・星光喩)
