2022年3月1日
多宝塔は日本から拝することができたか
今から2500~3000年前、釈尊が霊鷲山で法華経を説かれた時、高さ五百由旬の七宝の塔が地から涌き出で、空中に留まった。多宝塔から栴檀の香が発せられ、釈尊が塔の中に招き入れられ、重要な法門が説かれた。
当時の日本は縄文末期ないし弥生時代である。その頃、日本列島に生活していた私たちの祖先が、霊鷲山に聳え立つ多宝塔を仰ぎ見て釈尊の説法を聞くことができたであろうか。
多宝塔の高さ五百由旬は7500㌔に相当し、宇宙ステーションが周回する高度約400㌔をはるかに超えている。地球の半径は約6300㌔であるから、多宝塔は地球の半径よりも高く聳えていたことになる。
当時の世界観では、人間の住む世界である閻浮提は北側を二千由旬の底辺とする台形であるとされる。現在の尺度で計算すると、霊鷲山と日本との距離は約三百五十由旬である。霊鷲山の地中から高さ五百由旬、底辺二百五十由旬の宝塔が空中に浮かび上がれば、霊鷲山から三百五十由旬離れた日本から仰角45度以上で十分に拝することができたと考えられる。
また多宝塔の幅は二百五十由旬(約3750㌔)であるから、上方に行くに従って視角が小さくなるとしても、基底部は視角31度で十分観察可能であると考えられる。
現代の球形の地球の形状に即して考えてみても、霊鷲山直上に聳え立つ多宝塔の上半部分を日本の地平線上に十分捉えることができると計算される。
日蓮聖人は、多宝塔は東の方角から湧出したとしているので、多宝塔が霊鷲山の東方の上空高くに浮かんでいるとすれば、日本からなおさら確かに拝することができる計算になる。
その時に、多宝塔中の釈迦・多宝の二仏の背面を西向きに拝するのか、或いは、地涌の菩薩や他の諸菩薩とともに、東側に正面から仰ぎ見ることになるのか、推論は難しいが、霊鷲山の諸衆と同じように東方上空に拝することができたとすれば、これほど有り難いことはない。
日蓮聖人は、故阿仏房の聖霊が多宝塔の中に西向きにおわす釈迦・多宝の二仏を、東向きに対面しているとしている。
一方、多宝如来や釈尊の音声を当時の日本にいて聴くことができたであろうか。音の伝搬速度は毎秒約340㍍(時速1240㌔)であるから、多宝塔から音声が発せられてから日本に伝わるまでに4~5時間を要することになる。しかし、かなりの時間差はあっても、日本で釈尊の音声を聴くことができたと考えても不思議ではない。
霊山浄土は、空間や時間を超越した世界であり、法華経がそのような世界で説かれたことの意味は大きい。とすれば、宝塔の大きさや出現の方角などに拘泥することは本質から遠ざかるものであろう。しかし、釈尊の在世時代と時と所を大きく隔てて生きる現代の我々凡夫が、釈尊の教えの本質に迫ろうと思いを巡らすときには、このような思考実験をすることが許されるのではないだろうか。
そして、そのような思考実験の結果として、釈尊の法華経説法の時、東方遥かの地日本で、我々の祖先が多宝塔の出現を遥拝し、栴檀の香に浴し、法華経を聴聞し、下種結縁を受けていた可能性が十分にあり、我々はその末裔であると考えれば、感慨ひとしおである。
今でも求道の志ある者には、時空を超えて多宝塔を拝し、法華経説法の音声を聞き、釈尊から手植えされた仏の種を成長させ結実させることができると考えれば、うれしい限りである。
(論説委員・柴田寛彦)