2022年1月20日
地獄とPTSD
毎月、神田学士会館で(財)法華会主催の法華経講義を担当している。一々文々の解説形式での講義である。12月の月例会で地獄についての話となり、幼い頃、祖母から地獄絵を見せられながら「悪いことをすると、地獄に堕ちる」と驚かされ、夢にまで出て怖かったという体験を話した。すると、ある医療系大学の客員教授、医学博士で臨床心理士の先生から、「現代では、あまりそれを強調して言わない方がいいということになっています」と指摘を受けた。
法華経28品中、地獄という語句は10品に登場し、20回ほど見ることができる。日蓮聖人のご遺文、五大部をはじめほとんどのご文書に地獄の文字が記されている。日蓮聖人、あるいは鎌倉期の人びとの眼前には、地獄があった。ひと昔の日本人もそうであったに違いない。
高知県出身の心理学者である森田正馬先生(1874~1938)は、「森田療法」という東洋的な療法を用いたストレス解消法を構築した著名な人である。その原点にあるのが、幼少期の体験にあったらしい。
小さな時から森田先生は日記を綴ることが好きだった。9歳の時、近在の他宗のお寺で地獄図と閻魔さまの話を聞き、それがトラウマになって心身症を患ってしまったことが書かれているという。自身の病を自ら克服しようとの思いで勉学に励み、東京帝国大学医学科への進学を果たす。卒業後は精神科医の先生として私立慈恵医大へ奉職した。その慈恵医大で、創設者である高木兼寛先生(1849~1920)とともに、同病院に当時の神経衰弱といわれた人びとの救護に心血を注いだという。
私は心理学、ストレスということについて門外漢であるが、それを「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」というようだ。しばしば「トラウマ(心的外傷)」という言葉を使うが、詳細には危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力などによって精神的衝撃を受ける体験に晒されたことで生じるストレス症状群を指すとされている。
今の日本、ひと昔では考えられないような犯罪が多くなっていると思う人も多いのではなかろうか。「誰でもいいから他人を殺したくなった」という通り魔事件。中学校内での同級生殺人事件。新幹線あるいは通勤電車内での無差別殺人。京都・大阪における放火による殺人事件など。
このような凶悪な事件が度重なるごとに、「日本人から罪意識が消えてしまったのだろうか」、はたまた「閻魔さまが居なくなってしまったのだろうか」と私は思わずにはいられない。
犯罪精神医学の権威で法華篤信者だった筑波大学名誉教授の故小田晋博士(1933~2013)に3度会った。ことに、印象的だったのは、日蓮宗宗務院主催の「金曜講話」に登壇した時、小田先生から仏壇・神棚の有無と犯罪の確率調査をしたことがある、と告げられたことだった。
その結果は、ある家庭に比べて、ない家庭に育った者の犯罪が、1・3倍ほど多いということだった。その因由は、幼い頃から身近に見えない神仏や先祖の具体的形を見る日常があり、その存在の尊さを教える人(殊に祖父・祖母)がいると後の人生に大きな影響を与えるということであった。
そういえば、秋田県の男鹿半島に伝わる伝統的民俗行事「なまはげ」は、一時「PTSD」になるのではないか、と批判されたことがあった。私たちは地獄をどのように今に伝えるかを大いに悩まなければならない。
(論説委員・浜島典彦)