2021年10月1日
宛名敬称について
■「殿様論争」
「〈病院長殿〉は〈病院長様〉に直してください」。
もう20年ほど前のことになるが、兵庫県の公立病院で倫理委員をしていたとき、実験申請書でよく注意されたのが、同意書や説明書の「宛名の敬称」であった。〈殿〉は本来男性にしか使えないからNGなのだという。それに対して〈様〉は地位の上下、男女の区別なく用いることができる。〈殿〉なのか〈様〉なのかを巡って世間で「殿様論争」という議論があったことは後に知った。
■文部大臣宛の建議
ことのおこりは昭和27年4月に国語審議会が出した『これからの敬語』(建議)らしい。「2敬称」の2に〝将来は、公用文の「殿」も「様」に統一されることがのぞましい〟とあったのである。(文化庁のHPに公開されている)。なんとわたくしが生まれる2年前にこの議論は始まっていた。(ただし「殿様論争」では〈殿〉のジェンダー性は問題にされていないようである)。
■日蓮聖人遺文中の〈殿〉
歴史的には〈殿〉のほうが〈様〉より古かったようである。平安時代末には官職名の後ろに〈殿〉のついた例があり、鎌倉時代になると個人名に〈殿〉をつけた例も生じた。〈様〉は室町時代から見られるようになったという。(文化庁『「ことば」シリーズ21』)
というわけで、日蓮聖人のご遺文には「入道殿」とか「弁どの」(日昭上人あての『弁殿御消息』)はあるが、〈様〉が敬称として使われた例はない。
また女性への敬称として〈殿〉が用いられる例もほとんどない(唯一の例外は『王日殿御返事』であるが、宛名部分は真蹟がなく、王日に殿がついていた証拠はない)。「大田殿女房」とあっても「大田女房殿」はなく、また「尼御前」とあっても「尼殿」とは記されないのである。このことは、冒頭述べた病院の倫理委員会での〈殿〉使用の注意に一致する。
昨今は役所から来る書面でも〈殿〉は減り、〈様〉が増えている。主に男性が同輩または目下のものに使うという権威的イメージの〈殿〉より、地位の上下、男女の区別なく用いることのできる〈様〉の方が世情に合って、殿様論争に勝利したのであろうか。
■女性僧侶への敬称
女性の出家を〈尼〉という。出家者は托鉢によって生活することから「乞食者」とも言われた。これの原語の音に漢字をあてたもの(音写語という)が「比丘」。「尼」はこれに付けられた女性形語尾nīの音写である。音写語に用いられる場合、漢字の元の意味は関係なく音が用いられるだけである。孔子は、字を仲尼といったが漢字の尼に女性僧侶の意味はない。釈迦牟尼も釈迦牟という女性僧侶名ではない。
一方「あま」という訓読みは、パーリ語の「母よ」「お母さん」という呼びかけであるamma(梵語ではamba)から来ている。
日蓮聖人は在家出家の区別なく、法華経に帰依する篤信の女性信徒を「尼」と呼ばれた。
当時女性の実名が記されることはなかったが、法名は残っている。「尼ぎみ」との敬称つきで呼ばれた是日尼、同じく敬称付きの日女御前、「檀那(=供養者)」と記された日眼女、曼荼羅授与書きには尼日実や比丘尼日符などの日号を与えられた女性たちもいた。
極め付けは相模の日妙聖人と安房の光日上人である。光日上人は『種種御振舞御書』の宛名人とも言われ、真蹟遺文3通(2通は曾存)が伝えられる女性である。
「真水さんはなんとお呼びすればいいですか? 真水上人?」
日蓮宗僧侶となったわたくしには、そう呼ばれる以上の名誉はない。宛名敬称も「真水法尼」ではなく「真水上人」が有難い。
(論説委員・岡田真水)