2021年9月20日
コロナ禍における社会変化
筆者がこの原稿を書いている時点(8月25日)で、新型コロナウイルス新規感染者数は全国で2万4千人を超え、8月27日から緊急事態宣言(21都道府県)、まん延防止等重点措置地域(12県)が拡大されることになった。「いつまで続くのか」という諦めと不安の日々が続いている。他方、私たちが注視しなければならいのは、コロナ禍にあって、日本の伝統的な祭の文化、伝統行事、伝統芸道、食文化、そして仏教儀礼、精神文化が存続の危機に晒されているということである。
京都の「祇園祭」、青森の「ねぶた」、浅草の「三社祭」などは2年連続で中止、あるいは神事のみが行われている。その地域で育まれた祭の文化、祭の担い手、伝承する人たちは何処へ行ってしまうのだろうか。夏の風物詩である「花火大会」「盆踊り」も見ることができなくなってしまった。「花火大会」や「盆踊り」は仏教の精神文化が大いに関わっている。「花火大会」は元々お盆の精霊送り、送り火の意味合いがあり、「盆踊り」は逝った人と今ある人、死者と生者との「感応道交」の世界で踊りを演じなければならない。生者が御霊を鎮めるため踊りである。お盆に由来する大切な行事が今行われないでいる。
日本伝統の3大芸道である茶道・華道・香道。これらの芸道は、「密」を避けるため、さまざまな工夫をして稽古を続けているという。しかし、正式なお点前や習いが滞り、師弟間の心の絆が失われつつあるという。東京の老舗飲食店の店じまいも相次いでいる。葛飾区柴又「川甚」(創業230年)、中央区銀座「弁松」(創業170年)、台東区浅草「ちん屋」(創業140年)などなど。それぞれの歴史と伝統の味を有した名店がコロナ感染拡大のなかで閉じてしまった。この現象は東京に限ったことではない。
仏教界あるいは日蓮宗を取り巻く環境も大変厳しい現状にある。春秋の彼岸会、盆施餓鬼、お会式、大祭、法事などの法要は形式の変更を余儀なくされ、リモートで行う寺も出現している。お墓参りも減少している。拙寺では、盆棚経や寺子屋を2年続けて中止し、種々の行事を簡素化、身延山をはじめ霊跡団体参拝も中止せざる得なくなった。
東京の葬儀の風景も変わってしまっている。ある葬儀社に尋ねると、最近では、1日葬、お通夜のない葬儀が東京では6割を占めているという。先日、近くにある町屋斎場へお通夜に行ったが、閑散とした情景にまず驚いてしまった。聞けば、12会場あるうち9件が、お通夜無し葬儀のみであるという。この状況が全国に波及するのも時間の問題であろう。
彼岸、お盆、葬儀などの仏教儀礼が変容し、定着してしまうかも知れない。仏教の良き精神文化と行事を護持するために、私たちは何をすればよいのか。
かつて、疫病やはやり病が起こった時、人びとは神社仏閣に詣で平癒を願った。「祇園祭」の由来は、疫病退散を祈って始められたという。日本各地に残る祭の多くが「病」を起源として興ったという。今一度、この祈りの原点を私たちは忘れてはならない。
『立正安国論』の冒頭には、日蓮聖人ご在世当時の様相が綴られている。鎌倉期の天地の異変は、正しきを立てるための啓示であると受けとられ、「現世安穏」の世実現のため、法華経の祈りによらなければならないと訴えられた。今、コロナ禍にあって、私たちは祈りがある精神文化を改めて問わなければならない。
(論説委員・浜島典彦)