2021年3月1日
三大誓願というバイアスで見る
他者の行動の原因は、性格や態度、知能といった「内面」に求めるのに対し、自己の行動は「状況」のせいにする。たとえば、同僚の遅刻には「ルーズなやつだから」と思う一方、自分が遅刻すると「昨日、仕事で遅かったから」と言い訳をする。こうした考え方のクセは「対応バイアス」と呼ばれる。(1月16日付『朝日新聞』夕刊【いま聞くインタビュー】鈴木宏昭・青山学院大教授の記事から)
「バイアス」とは、私たちが持つ偏見や先入観、物事を色眼鏡で見てしまっていることをいう。鈴木氏は、「自粛警察」などコロナ禍における他人への厳しい眼や態度には、対応バイアスが隠れていると分析する。
また「心理学的本質主義」といって、人は「日本人らしさ」「男らしさ」など、集団の本質的要素でカテゴリー化する傾向があるとのこと。これは、新型コロナウイルスの感染が縮小しない地域に対し、〇〇に住んでいるから、遊びまくっている連中だから、といった他者を「個」でなく「集団」としてとらえることにつながると指摘している。
鈴木氏は、「バイアスから逃れるのは非常に難しい。だが認知バイアスを持つこと自体が悪とは言えない。得られた情報を判断する際に、自分にも他人にもバイアスがあると自覚することが重要。コロナ禍にあっては、人の生活全般を見据えた政策と個人の冷静な意思決定こそが求められている」と語る。
年が明け「緊急事態宣言」が再出。そして延長された。世態は多種多様の声、相反する主張が繰りひろげられ、分断の様相を呈している。しかしコロナ禍であっても、2月16日には日蓮聖人降誕800年ご正当を奉祝し随所で慶讃の誠が捧げられたことであろう。
宗務院伝道部発刊のリーフレット『日蓮聖人のお生まれになった日』に載る小湊誕生寺蔵「三奇瑞図」を見ると、庭先からは清泉が水柱をたてて湧き出し産湯に使った「誕生水」、浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ヶ渕」、海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」が彩鮮やかに描かれている。
昨年、本紙で三奇瑞は『開目抄』に示される「三大誓願」
我れ日本の柱とならむ
我れ日本の眼目とならむ
我れ日本の大船とならむ
に通ずるとの教学発表の取材記事を読んだことを思い出した。湧泉の水柱は【柱】、青蓮華は仏が備える三十二相の1つ「眼色如紺青相」(紺青色は仏陀の眼の色)で【眼目】、鯛は【大船】を意味するという。
かつて日蓮宗管長で立正大学学園総裁であった池上本門寺貫首の田中日淳猊下は、立正大学の卒業式で宗祖の「三大誓願」と石橋湛山先生が提唱された「建学の精神」にふれ、卒業生に家庭や会社、あるいは地域社会それぞれの道において柱となり、眼となり、船となることを祈念せられ贐の言葉とされていたことが思い合わされる。
あらためて、私どもの日々の信行を見つめ直す時、大曼荼羅御本尊を拝むこととは、向鏡の姿であることに気づく。十界互具の大曼荼羅は、我々の身心が十界互具であることを示し、大曼荼羅御本尊とは自己の身と心を写し見る明鏡である。
悪世末法の世にあってこそ、私にある地獄、餓鬼、畜生、修羅の心と姿を直視すると共に、自他にある仏身を観ることを忘失してはならない。私という一己の露命が日蓮聖人のご誓願を受け継ぎ、己の置かれた場において小なりとも柱となり、眼目となり、船となって800年からの一歩ずつを刻む姿が地涌の菩薩の流れを汲む生き方ではあるまいか。
(論説委員・村井惇匡)