2019年6月10日
「おばあちゃん仮説」のススメ
交差点に散乱した破片、壊れた自転車、またある時は公園の柵やコンビニエンスストアーを突き破る車輌など悲惨な事故現場をテレビ報道で視る機会が増えた。4月、東京都の池袋で87歳の男性が運転する乗用車が暴走し、母子2人が死亡、8人が負傷した事故は、改めて高齢ドライバー問題を浮き彫りにした。犠牲となった人と遺族を思うといたたまれなくなる。繰り返される悲劇に、高齢者から免許を取り上げるべきとの世論が高まる一方、エイジズム(年齢差別)との批判も出ている。高齢化社会は、少子化問題と対になって論議が繰り返されてきたが、一向に解決の兆しが見えないのも現実である。しかし、一方的に迷惑をかける存在として排除していこうという働きかけが、未来の展望となるのであろうか? 「お年寄りはお荷物」という風潮を何とか払拭したいと考える。
つい先日、興味深い話を聞いた。京都大学総長、霊長類学者でゴリラ研究の第一人者山極壽一先生は、「老年期の進化と人間社会の未来」と題して、なぜヒトには長い老年期があるのかについてアメリカの人類学者クリスティン・ホークス博士が提唱した「おばあちゃん仮説」を取り上げていた。霊長類の中で、ヒト科の人間だけは繁殖能力を停止してからも20~~30年生きることができ、さらに言葉を持つようになってからは、次世代の人たちが経験していないことを言葉やシンボルを使って伝えるようになった。生き延びてきた老年期の人たちの経験が受け継がれ、次世代に活かすことができたのは、人間だけであると言っていた。また、ゴリラの雄の特徴からも集団のリーダーでいられるのは、子どもに慕われていることが理由で、年をとってもその存在でいられるのはその理由が起因しているという。人間も同じ類を見る。生物学的に言えば、生殖機能を失った存在が、長生きして自分の子の子育てを手伝うことで、種の繁栄に寄与する役割を担っているのではないかという「おばあちゃん仮説」は、祖父母が長く生きていくことができる意義を示し、未来がここにあるとこの話をわくわくしながら聞いた。私が園長を務める園でも、就労している母親に代わって祖父母が子育てを担っている家庭が増えている。その祖母たちの特徴をふりかえってみると、我が孫の養育だけでなく園の在園児たち、保護者たちにおおらかにして広く心を開き接してくれるおかげで、親近感や信頼感を抱かせてくれるありがたい存在である。これは、保育者と保護者の関係とはまた違った家族的な関係性をもたらしてくれ、気軽に関わり相談できる存在として大変大きな役割を果たしている。あたたかなこの風景を眺めながら、高齢者たちがいきいきとその役割を担って、3世代を繋ぐ関係、縁づくりの中心になるための橋渡しはできないかと考える。地域の高齢者たちの豊かな経験が世代を跨いだ交流関係として活かせたとき、人類はまた新たな進化へ向かうのではないかと思う。
山極先生は、人間の進化はゴリラ同様に子どもを皆で育て食物を分配することから始まったとし、種族社会の中で血縁関係がないものへも相手を助けようという行動が生まれたことから高い共感能力が発達したと述べている。この共感能力を具体的に見返りのない奉仕をすること、何かをしてもらったら必ずお返しをすること、自分がどこに所属しているかという帰属意識をもつことと示していた。菩薩行、利他行、布施行すり合わせてみると信仰の世界とぴったりと重なる。
(論説委員・早﨑淳晃)