2018年1月10日
沖縄に真の平和を
昨年の11月、沖縄を訪れる機会を得た。摩文仁の丘で慰霊祭が行われたからである。この慰霊祭は、静岡県下の遺族会を中心に県の役職員や県議会議員・各市町村長など多数が集い、式典を県仏教会が行ったものである。各宗派の僧侶も大勢が出仕し、静岡県の慰霊碑の前で、戦争への反省と2度と再び戦争を繰り返さないとの誓いと深い慰霊の誠を捧げて厳粛に行われた。
この摩文仁の丘には、沖縄戦で亡くなった約20万人の犠牲者の名を連ねた碑が建てられている。碑に刻まれた人たちは、米軍の猛攻撃に遭い、この世の地獄と化した沖縄の地で恐怖のどん底に落とされ死んでいったのかと思うと、やり切れない気持ちになる。
73年前、即ち昭和20年3月、沖縄の地上戦は、慶良間諸島を経て、米軍20万の兵士の上陸とともに始まった。特に日本軍の作戦本部があった南部に熾烈な攻撃が行われ、約10万人いた軍人と約5万人の民間人は、瞬く間におびただしい戦車による攻撃と火炎放射器によって焼き殺されていった。その間、日本軍の反撃により米軍にも戦死者が出たが、圧倒的に兵力に勝る米軍の容赦ない攻撃で、人家も山野も焼き尽くされ、人びとは殺されていったのである。そしてついに6月23日、日本軍の沖縄司令長官と参謀長が摩文仁の丘の陣地で自決して、沖縄戦は終わった。この日を沖縄の玉砕の日としている。このような状況になる前に、米軍から司令長官のもとに降伏勧告があったが、受け入れなかった。沖縄は日本本土の防波堤となり、少しでも抵抗を長引かせよとの大本営からの命令で、民間人を巻き込んで抗戦したのであった。太平洋戦争において沖縄は日本で唯一、地上戦が行われた所でもある。
糸満市にある摩文仁の丘は、いたって静かで平和な状態である。公園墓地として木々も生き生きとし、わたる風も穏やかで、昔の戦場の面影など、どこにもない。今日、摩文仁の丘は慰霊の丘として、平和を願い戦争を再び起こさないと誓う場所となっているが、沖縄全体に広がる状況は今も決して安穏ではない。戦後もずっと米軍の戦略的な基地として犠牲を強いられてきた。米軍の占領下にあった沖縄は、昭和42年に日本に復帰したが、それからも基地は少しも減ずることなく、沖縄県民は日々危険にさらされている。
沖縄の米軍基地は、全島の78%に散在し、駐留する兵士の数は約2万3千人もいる。それに伴い、戦艦・戦闘機・戦車・弾薬などが整備され、臨戦態勢を構築しているのである。そのため事故も多く、飛行機の墜落事故、兵士による民間人殺害事件などが相次いで起こっている。最近では飛行機からの落下物が保育園や小学校に落ちて問題となっている。しかも日本と米国との間には地位協定が結ばれているため、沖縄で米軍が起こした事故に対して、日本側に調査権も裁判権もないという不合理がまかり通っている。さらに、基地移転に伴う問題では、現在も国と沖縄県とが争っている。沖縄にはいつになったら本当の平和が訪れるのだろうか。
浄土も地獄も人間の心次第で決まる。武器を溜め込み、戦争のできる準備をするのではなく、平和な世界を実現する決意と行動が伴ってこそ本当の慰霊となる。仏教はそのための教えであり祈りでもあるといえよう。
(論説委員・石川浩徳)
