2018年1月1日
『君たちはどう生きるか』青少年期に問いかける
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
毎年、忙しく迎える大晦日から正月の10日間、幼稚園は冬休みになり、園長である私も一気に園務から法務へ、心も体もシフトチェンジする。休みの間、初詣に来る園児以外は会えないので、私の楽しみは、高校、大学に進学し、お寺のアルバイトにやってくる卒園児たちとの再会となる。
卒園してから12年以上経っている。巣立っていった卒園児たちは、幼き頃の面影をわずかに残しながら、受け答えはもちろんのこと、実に誠実に与えられた職務を全うしている。「大人になったなあ」としみじみ感じる。
最近ふと見たニュースで、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著 岩波文庫)が、80年という月日を経て漫画化され発行部数が100万部を突破し、さらに宮崎駿監督によってアニメーション化されることが報じられていた。遠い昔ではあるが、とげとげした思春期真っ最中の私に、父が何も語らず机に置いて行った本がこれであった。人に指図されることを嫌う反抗期とも重なり、最初は部屋の隅にぽいと置かれていたあの頃の風景さえ懐かしい。しかし、それから間もなく、私の思春期を支えてくれる大切な本となった。今では、亡き父の親心を感じ、きゅんとなる思い出の一冊である。主人公は、コペル君というあだ名を持つ15歳の本田潤一郎少年。彼には、とても良い距離で寄り添ってくれる叔父さんがいる。叔父さんは、いつも彼に「君はどう生きるか」を自分で考えていくよう導いてくれる。例えば、学校で親友と上級生とのいざこざがあり、親友を助けるどころか傍観しかできなかった失意のコペル君に、「人が生きていく上で大切なこと」を世界的な偉人の人生を引き合いに出しながら、コペル君自身が自分で考え、行動できるように促してくれる。
少子化が進み親戚、家族の関係が大きく変化してきている現代に、思春期から大人へと成長していくこの時期、親には言えないことに耳を貸してくれ、利害を考えず一緒に心を開いて向き合ってくれる存在の必要を切に感じる。昨年、神奈川県座間市のアパートから9人の遺体が見つかった痛ましい事件が起こった。この被害者や、未遂に終わった人々の中にも青少年がいたことが報道されていた。この事件が象徴する現代社会の人間関係、コミュニケーションのあり方は、インターネット社会のあり方と共に、益々大きな問題となるであろう。再びこの漫画『君たちはどう生きるか』が、青少年たちに信頼できる大人との出会いと、信頼する心に応えてくれる大人との対話の中で、成熟した大人への道筋を導き、訴えかけてくれることを願っている。
宗門では、宗祖降誕八百年慶讃事業として青少年の年代を広げ、青少幼年の健全な育成を目指し、実動に向けて熱い議論が交わされている。
日蓮聖人は、「正月は妙の一字のまつり」(『秋元殿御返事』)と記されている。新しい年を迎えた今日に誓いを立て、新たな気持ちでこれからを送りたいと思う。誓願とするならば「立正安国」に向かって日蓮宗寺院としてできることは何か。「生きる」という人びとの営みの中に法華経を見出し、「どう生きるか」を導く中心に私たちが携わろう。思春期になった卒園児が「今日幼稚園に還ってきてよかった。成長したこと。自分が自分を認めてあげることができたから」という手紙を置いて行った。幼稚園はそんな役割も持っているのだと心に刻んだ。お寺もそんな存在でありたい。
(論説委員・早﨑淳晃)