2017年7月20日
いのちに合掌し、生きる喜び感じる社会に
地域住民から「丸木さん」と親しみを込めて呼ばれる美術館がある。
埼玉県東松山市下唐子に在る「原爆の図 丸木美術館」は、1967年に日本画家の丸木位里と洋画家の俊夫妻=ともに故人=によって開設された。
丸木夫妻は、原爆が投下された数日後に広島に入り、惨状を目の当たりにし、その後、31年かけて「原爆の図」15部の連作を共同制作した。広島は位里の故郷であった。
創設当初は、展示室2部屋の平屋建てであったが、展示作品が増えるに伴い増改築が重ねられ、今年5月には開館50周年記念の催しが行われた。
美術館では常に『原爆の図』14部が展示されている。その作品群は、いずれも縦1・8㍍、幅7・2㍍の屏風仕立てであり、ガラスケースに保管されていないため、眼の前で見ることが出来、作品に描かれる人物から強烈なメッセージが伝わってくる。
また、時に応じた企画もあり数年前には、中沢啓治の被爆体験をもとにした自伝的漫画『はだしのゲン』の原画展が行われ、リアルな彩色原画や関連展示物を通し、戦争の悲惨さを感じ「いのち」の尊さを学ぶ機会に恵まれた。
5月5日付の『朝日新聞』では、俊の姪で養子となり、晩年の夫妻を知る絵本作家・丸木ひさ子さんのインタビュー記事を掲載していた。
「生前の俊は制作の合間、見学者に絵の前で解説することもあった。美術館を子どもたちへの教育の場とも考えていたからだという。俊が、『原爆が落ちたらどうなるの?』と尋ねた小学生に『自分で考えてごらん。みんな自分で考えないと死んでしまうんだよ』と言うのを見て驚いたことがあります」。ひさ子さんは、続けて「2人が美術館へ込めた願いは『絵を見て考えてほしい』です」とむすんでいた。
今日、丸木美術館に原爆を知る語り部はいない。しかし、作品群に描かれる人物1人ひとりが語り部である。作品を描いた俊自身、ガラス片が全身に刺さった少女に対し、余りにも痛々しくかわいそうで、思わずガラス片の数を減らして描いたという。俊は少女の声を聴いたに違いない。
美術館の横には広島から移した原爆地蔵尊が祀られ、8月盆には慰霊祭を営み、近くを流れる都幾川で精霊流しが毎年行われている。
哲学者・鷲田清一氏は「教育は、これに精進すればこんな見返りがあるという論法でなされるものではない。次の世代が正しく、そして確実に生き延びられるよう、自らのもてるあらゆる知恵を伝えることにある」(『朝日新聞』5月10日付「折々のことば」)と記している。
今、宗門では「日蓮宗が1つになって合掌する」ことを提案している。日蓮宗の合掌とは、日蓮聖人が『観心本尊抄』の中に示された「所見の人において仏身を見る」とのみ教えを「合掌」に込めて互いに「いのち」を軽んじることなく、深く敬う菩薩行の実践である。
梅雨が明け酷暑の季節、7月から8月にかけて夏休みやお盆休暇を迎え、寺院では修養道場やサマーキャンプなどが行われ、夏祭りやお盆行事もあって多くの家族、子どもたちと触れあう機会も多い。
子どもたちが生まれてきてよかったと感じ、年を重ねる大人たちが、生きてきてよかったと心から思える社会のために、あらためて「いのち」に合掌する尊さを仏祖の教えに学び、先人の労苦を偲び、生きる知恵を磨き伝えねばならない。
(論説委員・村井惇匡)