2016年4月1日
新たな不登校にどう向き合うか
不登校の子どもたちの問題は、今や社会全体で取り組んでいかなければならない状況にある。
かつてはその数も少なく、それは学校を怠ける、サボるという「怠学」ということばで表現されていた。その後「学校恐怖症」、そして「登校拒否」などとその呼称も変化していった。そして現在では「不登校」ということばが一般的に使われている。つまり彼らのすべてが、けっして「怠けたい」、「学校が怖い」あるいは「学校を拒否している」のでもない。そこには個々人の複雑な原因があると想像されるのである。
特に今日では、個人の身体やこころ(精神)や性格などの面、あるいはその子を取り巻く家庭環境や家族の関係などの面からも考えていかなければならないことは当然のことである。また学校や担任教員との関係、友人関係やいじめの有無などからの視点も不可欠である。さらには、不登校の長期化により生じる「学力の低下」「ひきこもり」などの、いわゆる二次的障害も懸念されるところである。
現在では、公的な相談機関や施設、スクールカウンセラー、あるいは民間のフリースクール、相談機関や施設など、多方面からの支援が考えられている。しかしながら、子どもの個性やその状態像も多岐にわたるため復学は必ずしも容易ではない。
不登校という状態は、子どものこころの疲労や不調を表すサインと見ることができる。それは初期段階ではことばではなく腹痛などの身体症状として発信されることも多い。その後、感情をうまく表現できず攻撃的になったり、自らを責めることも見られるが、親としてはまず子どものこころに寄り添っていくことが、なによりも重要なことであろう。
一方で、このような子どもたちに対する支援と共に、これからの大きな課題は新たな不登校の未然防止である。
最近の文部科学省の調査では、新たに不登校になる小・中学生が増加傾向にあるという。平成26年度は、不登校は12万2千人で、そのうちの6万5千人が「新規」の不登校であるという。
このような新たな不登校を防止することはけっして容易なことではない。しかし子どもたちの将来を考えるならば、私たちは可能な限りの支援をしていかなければならないだろう。
日蓮宗では昭和56年に社会福祉法人立正福祉会を設立し、全国各地の寺院に「家庭児童相談室」を開いている。そして現在幅広く子どもの相談事業を行っている。もちろん各相談室の活動に期待するところは大きいが、また一方で親ができることも考えていかなければならない。
親としては、まず子どもの話にしっかりと耳を傾け、その話を否定することなく丁寧に傾聴していく姿勢を基本とすべきであろう。またそこには、子どもを受容するという気持ちもなくてはならない。この受容とはカウンセリングの基本でもあるが、そのことばのイメージから時に「甘やかすこと」と誤解をされやすい。しかし受容とはけっして甘やかすことではない。あえて言えば「寛容」とか「包容」に近いものであろう。
仏教には本来「寛容性」「包容性」という性格が備わっていることを考えれば、私たちは仏教者として素直に受容ということを理解できるのではないだろうか。もちろん、すべての子どもたちの問題を「傾聴」と「受容」だけで解決できるものでもない。その姿勢を基本としながらも、冷静に状況を判断し、時に速やかに専門機関につないでいくことも、また私たちの果たすべき重要な役割であろう。
(論説委員・渡部公容)