2016年2月1日
エントロピーをいかに抑制するか
平成28年の新しい年の幕開けは、必ずしも希望に満ちたものとは言い難い。
少子高齢化、人口減少の流れは止まる気配を見せず、経済再生は、大企業はともかく地方への波及を安易に見通すことはできない。新年早々の北朝鮮の核実験や混迷を深める中東での宗教を背景とした戦乱は、世界平和の実現からほど遠い現状を物語っている。
生物学者の福岡伸一氏は、「組織の硬直化や衰退、あるいは人口減少や過疎化による地方都市の不活性化やインフラの劣化は、すべてエントロピー増大の危機といえる」と述べている。エントロピーとは「乱雑さの尺度」であり、エントロピー増大の法則とは、「世界は常にエントロピーが増大する方向に、すわなち〝秩序から無秩序へ〟という方向に進む」というものである。自然も社会も、秩序化への努力を怠ると、必ず無秩序化し混乱するというのがこの法則であるが、人間の体は、細胞の中にたまる無秩序化の要素(エントロピー)を常に外部に捨て続けることによって(エントロピーを減少させることによって)恒常性が維持されている。つまり、新しいものを取り込むと同時に、古くなったもの、無駄なもの、害になるものを体内に貯めこまず、常に排出し続けることが、健全な体を維持するために必要な条件なのである。
同じことは社会にも、国にも、国際社会にも当てはまる。川を渡るために用いた筏を、渡った後も担いでいたら遠い道を歩むことができない。また、建物を建築するために作った足場を、完成した後もそのままにしていたのでは、建物の本来の目的を見失ってしまうであろうとは、法華経の大切さを示す例として日蓮聖人が繰り返し使った例えである。同じように、その時その時の必要に応じて用いたもので大いに役立ったものであっても、必要がなくなってからいつまでも後生大事に抱えこんでいては、その後の発展に障害になることはよくあることである。筏をいつまでも抱えて歩くこと、建築完成後も足場をほどかずにいることは、エントロピー増大につながる。
このことは、大切なものを変わらずに保ちつづけるためには、常に不要なものを排出し変わりつづけなければならないという、極めて逆説的なことを示唆している。逆説的ではあるが、よく考えてみれば首肯せざるを得ない真実である。
とは言いながら、不要なもの、無駄なものをすべて排除することは、現実的には不可能である。
悟りを得るためには、あらゆる煩悩を絶えず排除し、捨て続けなければならない。すべてを捨てきったところに清浄なる悟りの世界が広がるのだとする教えが、原始経典の中には確かにある。しかし、現実社会に生きる凡夫にとってみれば、煩悩をすべて捨て去ることは不可能といってよい。まさに市場で獰猛なトラを放し飼いで売っているようなものである。
それではどうすればいいのか。日蓮聖人の教える方策は、休みなく降り注ぐ煩悩の埃を、お題目によって払い清め続けること、あるいは、煩悩の埃をお題目によって清らかな飼糧に作り代えて、清浄なエネルギーとして活用することである。
そのためには、一時的に燃え盛る火のような信仰ではなく、常に流れつづける水のような信仰が必要であると日蓮聖人は教示している(『上野殿御返事』)。
水のように不断に流れつづける信仰こそ、エントロピー増大を抑制し、自らの心、家庭、社会にあるべき正しい活力を生み出す泉になると言えるのではなかろうか。
(論説委員・柴田寛彦)