2015年3月10日
他国を侵略しない選択肢
戦火の止まないまま今年も新しい年が始まった。民族や宗教が背景にある行動の善悪を容易に論ずべきではないのかもしれないが「イスラム国」による蛮行は許しがたい。人間の愚かさに失望すると共に恐怖を覚える。世界はいったいどこに向かおうとしているのか。人間の知恵を信じたいところだが世界史は戦争の歴史でもある。戦争の記述のない頁は年表にない。
そんな中で長い間、戦争と無縁でいる国がある。スイスだ。1815年に永世中立国となって以来、内紛などはあったものの、他国との戦争がないまま現在に至っている。そのスイスが国連に190番目に加盟したのはわずか13年前、2002年である。それまで加盟しなかったのは「国連」が第二次大戦時の連合国を意味するからだ。枢軸国とのいずれにも与しない中立を保ってきた。
第二次大戦後、当時のソ連やアメリカは日本を永世中立国にしようと企んだこともあるというし、一部の左翼思想家などは今でもそれを主張しているらしい。スイスは実際に永年の平和を保っているのだから、日本もあやかりたいものだと思う。
が、実はスイスには立派な軍隊も徴兵制もある。第二次大戦時にはナチスドイツですらスイスには手を出さなかったほど強い軍事力を持っていた。スイスとは戦争しない方が良いと他国に思わせていたことと、自ら他国を侵略しなかったことが、現在にまで至る永年の平和に繋がったわけである。
不殺生戒は一般大衆部仏教にも残されたほど大切な戒律の一つだ。誰も人を殺したり殺されたりしたくない。私たち仏教徒は、平和を希求する先鋒とならなければならない。平和とは戦争だけでなく飢餓、暴力、災害などのないことを言う。だが、観念論だけでは人を救うことも平和を築くことも不可能だ。
敗戦後、日本人は自ら長い期間にわたって反省を続けている。そのことは誇りにすべきだ。これなら今後、侵略戦争など起こさないに違いないと、戦後生まれの私は安心もしている。
しかし、自虐史観からは卒業したい。ラオス人民民主共和国革命指導者の一人で、大統領補佐官をしていた故プーミー・ボンビチット氏とは、生前親しくさせていただいたが、氏から興味深い話を聞いた。氏は同じ社会主義革命の指導者であったベトナムの故ホー・チ・ミン氏と親交が深かったのだが、ホー・チ・ミン氏が口癖のように「今のインドシナは日本のおかげだ」と言っていたという。
ラオスの社会科の授業では、フランスとアメリカの侵略については教えるが日本については何も伝えていない。侵略されたとは考えていないからだ。
数年前、朝日新聞アジア総局長(当時)の柴田直治氏にバンコクの総局に伺ってお会いした際、氏は「アジアは千年にわたって中国の脅威にさらされている。わずかな年数の日本の侵略など何とも思っていない」と言われた。正に現場の「今」を知る人の貴重な見識である。
悲しいことだが、世界の歴史と現実を見れば武力を捨てた国に平和が来るなど、お伽噺にもならないことは明白だ。
防衛に関する発言をするだけで右翼と呼ばれ批難される日本では議論が進まないが、スイス方式は平和国家日本継続の新しい方法となり得るのではないか。武力を以て他国を侵略しようとするいかなる国とも協調せず、集団行動もとらず、国防に関してだけは孤高の国となれば良い。それを成し遂げる技術や財力、何より他国を侵略しない優しい心が今の日本にはある。
(論説委員・伊藤佳通)