2014年4月10日
ブラック企業は誰がつくる?
テレビで「安価で良いサービスを提供する」として紹介される企業があります。京都のMKタクシーは乗客に気持ちの良いサービスを提供することで有名です。私も実際に利用しましたが、他に類を見ないようなサービスで、また利用したいと思いました。また、『和民』という居酒屋がありますが、ここも安価で美味しいものをよいサービスで提供すると評判です。これらの企業は消費者目線からすると、理想的な企業と言えます。しかし、一部では従業員に過酷なサービスを強いる「ブラック企業」というレッテルを貼られています。
ブラック企業とは、さまざまな解釈がありますが、最近は「企業の利益を追求するために、従業員に対し、成果について過酷なノルマを課したり、長時間労働やサービス残業をさせたりするなど、過重な負担をかける企業」とされています。前述のMKタクシーや和民が実際にその基準に当てはまるかについては議論がありますが、消費者から見ると「安価でよいサービス」を提供する『良い』企業が、従業員からすると「無理な要求」を強いる『悪い』企業と看做されてしまうのはなぜでしょうか。
テレビでは、連日のように激安・爆安と商品やサービスの値下げを煽っています。値下げは消費者にとってはうれしいものですが、生産者や事業者にとっては過酷な要求になります。値下げをするためには、経費を抑えたり、利益を薄くしたり、さまざまな企業努力が必要です。しかし、それも限度があります。その限度を超えると、さまざまな部分に無理が出てきます。
接客サービスでは、サービスの質を上げれば上げるだけ、現場の従業員の負担が大きくなります。大型販売店が無理な値下げをすれば、その下にいる弱い立場の生産者は泣く泣く利益が出ない価格で出荷しなければなりません。テレビでは表面的な「企業努力」を称賛し、陰に隠れた無理な部分は見過ごします。そして、問題が表面化すると、報道は一転して無理をさせた企業を糾弾します。自分たちが煽って、無理をさせて、その無理をさせた人を責めるテレビの報道は、無責任極まりないものです。しかし、私たち消費者も「安くて良いサービス」を求めることで、現場の従業員に無理を強いることに加担してしまっているとも言えるのです。
考えてみれば、私たち消費者はいつも、「品質が非常によい商品やサービスをできるだけ安価で提供すること」を事業者に求めています。これは相手に努力を求めているのですが、見方を変えると、自分たちの欲望を相手にぶつけているとも言えます。ですから、気をつけていないと、相手に対する要求が際限なく大きくなっていってしまいます。欲望が大きくなっている時は、自分中心にものごとを考えている時です。八百屋で野菜を値切って買う時、私たちはその野菜を畑で作っている生産者の姿を思い浮かべることがあるでしょうか。その野菜が作られるのに、どれだけの手間がかかっているのか、考えているでしょうか。おそらく、そのような隠れた努力は全く見えていないでしょう。つまり、ものの価値がわかっていない状況にあると言えるのです。
仏教でいう「正見」正しく見るとは、正しい価値を見ることです。「良い」ものを生み出すには、努力が必要です。「良い」物を買う時、「良い」サービスを受ける時、その後ろにどれだけの努力が隠れているのか、想像してみましょう。そして、「良い」ものに対しては、それなりの価値を認めてあげましょう。私たちのこのような行為が、ものの正しい価値判断を企業にさせることになり、ブラック企業を生み出させない風土を社会に作ることにつながるのではないでしょうか。
(論説委員・松井大英)