2014年3月20日
メダルがすべてではない
今年2月、ロシアのソチで冬季オリンピックが開催された。ソチ五輪で日本が獲得したメダルは金1、銀4、銅3の計8個。目標とした1998年長野大会の10個には及ばなかったが、海外開催の冬季五輪では過去最多だった。今回の五輪では単にメダルの数だけではない選手たちのメッセージも印象に残った。
41歳で五度目の参加を果たした葛西紀明選手だ。何度も挫折を乗り越えてつかんだスキージャンプの個人銀、病気を抱えた後輩を率いて獲得した団体銅は私たちに感動の涙を与えた。今大会唯一の金は、19歳の羽生結弦選手だ。あのスリムな体に潜む強靭なばねは、たゆまぬ練習の成果だ。スノーボードで銀の平野歩選手は15歳の中学生、同じく銅の平岡選手は18歳の高校生だ。「このメダルは通過点です」の言葉が眩しい。次期大会に向け期待が高まる。スノーボードパラレル大回転銀の竹内智香選手やスキーハーフパイプ銅の小野塚彩那選手は普段あまり馴染のない競技に光を当てた。
中でもとりわけ印象的だったのは、女子フィギアスケートの浅田真央選手だ。メダルの期待を背負って臨んだショートプログラム。結果は誰もが想像しなかった16位。その夜、姉の舞さんや世界中のアスリートから声援や激励のメールが届いた。翌日のフリーを控え明け方まで眠れなかったという浅田選手。朝7時からの練習も気持ちの整理がつかないまま精彩を欠いた。「私は何をしているの」自分の態度に怒りを覚えた浅田選手は亡き母匡子さんの「どんな時も言い訳せず、逃げることなく試合に出なさい」の言葉を思い出した。
フリーの演技が始まる時、余程心配したのか「真央ちゃん頑張れ」と羽生選手の声がリンクに響いた。演技直前、佐藤信夫コーチと言葉をかわした。「自信を持って、自分にとって思い残すことがないように頑張れ!」の力強い言葉に、「もう、やるしかない」とスイッチが入った。浅田選手は不死鳥のように甦り、起死回生の自己ベストで締めくくった。吸い込まれるような素晴らしい演技だった。メダルこそ取れなかったが「スポーツと芸術性を両立させた最高難度の演技」と内外から高く評価された。
選手団が帰国した日、日本外国特派員記者クラブで浅田選手一人の会見が行われた。浅田選手は「強い意志を持って諦めなければ自分の目指しているものができると強く感じることができました。このことは今後の人生に生きてくると思います。メダルは取れませんでしたが自分の目指す最高の演技ができてとても嬉しいです」と笑顔で答えた。浅田選手にとってメダルは結果であって、自分の目指す演技をすることこそ最大の目的だったのである。「自己実現の前には勝者も敗者もない」のである。
仏道修行の目的は成仏することにある。成仏とは今の一瞬一瞬をイキイキ生きることである。成仏という目的に向かって努力精進し、一歩一歩進み続けるプロセス(過程)にこそ成仏という結果が内包されている。まさに浅田選手の目指した道のりである。
6年後の夏には東京五輪が開催される。政府は2015年にも文科省の外局としてスポーツ行政一元化のためにスポーツ庁創設を目指す。しかし、ただメダル量産主義に走るのでは五輪も単なる打ち上げ花火に終わりかねない。ソチ五輪の選手たちのメッセージを生かしたスポーツ文化の提唱を期待したい。 (論説委員・奥田正)