2014年1月20日
特定秘密保護法について
昨年暮れの臨時国会で「特定秘密保護法」が成立した。国会での論議も徹底してなされたとは思えない状況のなか、この法案を是が非でも通したいという安倍首相の強い意向により、賛成多数で成立したものだ。年が改まった今年、文化人、知識人、多くの国民がこの法律成立後も異を唱えている。
秘密保護法の内容は「その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を行政機関が「特定秘密」に指定し、秘密を扱う人やその周辺の人々を政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入する。そして「特定秘密」を漏らした人、それを知ろうとした人を厳しく処罰することが柱になっている。そこで、特定秘密保護法の条文全部を自分の目で読んでみた。そのなかで気になった点について述べてみる。
まず、何が特定秘密なのかは、行政機関の長が指定するとなっていて、有識者の意見も聴くことにはなっているが、「我が国の安全保障に関する情報の保護や行政機関の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者」とは、官僚のことではないかと思えてくる。これでは第三者機関とは言えず、チェック機関としては不十分である。
また、行政機関の長による適性評価の実施についてもその対象となるのは、公務員だけでなく、その家族や父母、兄弟姉妹、同居人まで含まれている。調査内容も犯罪経歴や薬物の濫用、精神疾患、飲酒、信用状態その他の経済的な状況にまで及び、かなり個人のプライバシーに踏み込んでいて驚いた。
さらに、情報を得ようと取材しただけで情報を得られなかったとしてもそれが未遂でも処罰されたり、情報入手をそそのかしたり情報を入手しようと仲間と相談しただけでも、教唆や共謀とみなされれば処罰の対象になってしまうのである。これでは、取材する側も内部告発も躊躇するだろうし、国民にとって大切な知る権利が阻害される。
知る権利は民主政治には欠かせないものである。それは、国民が知り得た事実に基づいて判断した考えを実現するものだからである。もし、国民が知るべき事実、あるいは国民に知られたら都合の悪い事実を隠蔽されたり、特定の考え方を強制されたら、何が正しい判断なのかわからなくなるであろう。例えば原発については、テロ防止のためとして特定秘密が指定されるが、放射能漏れや汚染水の問題など国民の知るべき問題も特定秘密にできないわけではない。その例が戦時中の「軍機保護法」(軍の機密を守るための法)である。筆者は前回の論説でも書いたが、日本が先の戦争に突き進んだのは、当時の政府や軍部が情報統制を行い、国民の判断材料が奪われたのが一因であった。その情報統制は死刑の罰則まであった「軍機保護法」によって徹底的におこなわれていたのだという。
安倍首相は記者会見で、秘密が際限なく広がる、知る権利が奪われる、通常の生活が脅かされるということは、断じてありえないと述べている。しかし、実際には行政機関が恣意的に秘密の指定を増やせる余地がある以上、そうなった場合、国民は何が秘密に当たるかも知ることできないのだ。
今後、特定秘密保護法が施行されたら、国民の知る権利や報道の自由がしっかりと守られているのか、安倍総理の言葉どおりか、よく監視していく必要があるだろう。
(論説委員・石川浩徳)