2013年6月10日
日什上人に学ぶ人生のチャレンジ
今の日本のような少子化、低成長の時代には、高齢者と女性の力を生かすべきだと考えられています。特に高齢者には、自身を年寄り扱いせずに、社会の担い手になって頂きたいという期待があります。このような中にあって、高齢ながら人生にチャレンジしたといえる僧侶を紹介したいと思います。
それは66歳という当時としては最高齢に近い年で日蓮宗に改宗した日什上人という方です。この僧侶は福島県会津若松に生まれ、今年は生誕700年になります。比叡山に学び、学頭にまで登って3000人の学僧を育て、帰郷してからは領主の菩提寺住職に迎えられました。ここでも熱心に指導する中で、日蓮聖人の御書に出会い深く感動、そして改宗の決心をします。長年築き上げてきた地位と名誉を自ら否定した訳ですから、挫折感も味わったことでしょう。それを克服し、更には改宗を反対する人々から殺害されそうになりながらも、広く日蓮聖人を学び、弟子を教育、現在この系統の寺院は500ヵ寺あります。
高齢で活躍したり、挑戦している人は現在でも多くいます。その一人、冒険家の三浦雄一郎さんは80歳でエベレストを5月に登頂し、世界最高齢を記録しました。「元気だから挑戦するのではなく、挑戦するから元気」と述べています。「あきらめずに目標、夢に向かうこと」が共通していると感じます。
ところで今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は同じ会津若松が舞台ですが、日什上人霊廟のある妙國寺は幕末の会津藩と多くの縁があり、白虎隊が最初に葬られ、最後の城主松平容保が約1ヵ月間蟄居した寺院でもあります。同藩の教育方針”什の掟”が有名になり、本紙記事で日什上人の「什」の字との関連性が話題になっていました。
什には数字の十や十人組、まじる、あつまる、家財道具などの意味があり、熟語としては什器、什物、什宝等があって、いずれも日常の、家のものという使用例です。什の掟の場合は10人ほどの組の掟、日常の掟のことになるでしょう。日蓮聖人の弟子としての証である日号には信仰心や心構え、あるいは理想とか、俗名を一字入れる点が考えられます。ここから類推すると、日什上人の理想は「経巻相承(法華経を師と仰ぐ)」、「直授日蓮(日蓮聖人の教えを直接受け継ぐ)」の2つですので、常に、普段に日蓮聖人の教えを学び、従うの願いをこめて「日什」とされたように考えられます。あくまで推測ですが。
同上人の如く、挫折感を克服した方が幕末の会津には多くいます。その一人が「八重の桜」の八重さん。戊辰戦争に敗れた後、京都で出会い結婚した新島襄を助けて同志社大学設立に尽くしたり、日赤看護婦として日清、日露戦争では救護活動に参加、「日本のナイチンゲール」と呼ばれて、女性の地位向上に尽くしました。
また山川捨松(女性です)は賊軍にされた会津の汚名挽回の思いを秘めて、明治政府の海外留学募集に応じ、明治4年に渡米。このような縁から後の陸軍大臣大山厳と結婚し、「鹿鳴館の花」と呼ばれて日本女性の名を高めたり、一緒に留学した津田梅子に協力して津田塾大学創立のため支援、また看護婦としても活動し、津田看護女子校設立に協力しています。なお、松平容保の孫娘・勢津子妃(津は会津の津)は秩父宮親王と結ばれ、会津人を力付けたということです。
あきらめない心、チャレンジ精神が福島や被災地の方の力、応援歌になるよう願います。
(論説委員・山口裕光)