2013年4月10日
なまはげは怒っている
昨年末に見たテレビのコマーシャル。2人のなまはげが家の中に入ってきました。その家の子供たちは大パニック、泣いて逃げ回ります。その時、突然なまはげがお面をとって、そこから出てきたのは、あるアイドルグループの若者2人でした。子供たちは安心して、しかもテレビで見たことのあるアイドルと知って、仲良く遊び出しました。このコマーシャルを作った人間は、なまはげを単なる「子供を怖がらせる風習」と捉えているのでしょう。しかし、なまはげの行事は「子供を怖がらせる」ことが目的ではありません。
なまはげを含め、地方の祭や民俗行事にはすべて意味があります。そこには、決められたルールがあり、参加者はそれを守ることで、行事への参加が認められます。そして認めるのは、人間ではありません。神仏を含む神聖な存在が、祭りや行事の目的を理解し、目的を達するための規則を守る人間にのみ参加を認めるのです。ですから、意味が忘れられた祭りは荒れてきます。ただ酒を飲んで、騒ぐだけの場と化してしまうのです。神田の祭りで神輿の上に人が乗る、ねぶた祭でカラスと呼ばれるハネトが列を乱して大騒ぎする。日本の祭が今、おかしくなってきています。祭の本質を捉え直すことが関係者に求められているのです。
「ハレ」と「ケ」という言葉を御存知でしょうか。これらは民俗学で使われる言葉で、ケは日常、ハレは非日常を意味しています。民俗の世界では、私たちが日常生活を送っているのは、そこにケという力が働いていて、それによって社会の秩序が保たれていると言われます。そして、そのケの力が枯れてきた状態を「ケ枯れ」と言います。この言葉が変わって「けがれ」「汚れ(穢れ)」になったと言われています。ケが枯れて力が弱くなってくると、社会の秩序が乱れ、様々な災難がおこるのです。そこで、私たちは、ハレの時間で聖なるものと接触し、ケの力を回復します。それがハレ、祭りであると言われているのです。
ハレは、聖なるものと対面し、そこから力をもらう時間です。ですから、接する側にはそれなりの支度が必要です。なまはげを迎える家では、その家長が紋付き袴で迎えることが本来の姿であるそうです。そして、参加者はハレの規則に従わなければなりません。祭のハレの時間に、秩序がないわけではありません。ハレの秩序があるのです。その意味がわからないと、祭はただの「乱痴気騒ぎ」になってしまいます。最近の祭が荒れる原因がここにあります。
飲みすぎて酔っぱらったなまはげが旅館の女湯に乱入して騒動になったという記事が新聞に載ったことがあります。この男はなまはげの意味を全く理解していなかったのでしょう。しかし、その記事の後半を読んだ時、思わず笑ってしまいました。この事件を重く見た行政が「なまはげの暴れ方に関する行動指針」を作ろうとしていると報道していました。いかにも行政がやりそうなことですが、ものごとの本質がわかっていない「とんちんかんな」対応です。
なまはげは、ケの力が弱くなった社会に、聖の世界からやってきて、秩序を回復する存在です。なまはげを迎える行事は、神聖な儀式と言えます。子供などに「悪いことをしていないか」というのは、神聖な世界とつながる俗世界の社会に正常な秩序を持たせ、子供を大人の社会に迎え入れるための神聖な行為なのです。そのような行事の意味を、参加者が再確認した時、なまはげは本来の姿にもどり、祭は安定を取り戻すでしょう。
(論説委員・松井大英)