論説

2019年5月20日号

脱皮のチャンス

「脱皮できないヘビは滅びる」とは、哲学者ニーチェの『曙光』の一節である。
セミやチョウは幼虫から脱皮して見事な成虫になる。脱皮は昆虫だけでなくエビやカニなどの甲殻類、ヘビのような爬虫類にも見られ、大きくなろうとするとどうしても外側の殻を破って捨てないと大きくなれない。
人間の場合は、皮膚が柔らかいので、少しずつ皮膚が入れ替わりながら成長して大きくなるので脱皮は必要ないが、心の成長には、脱皮に似た現象、すなわち心の脱皮が必要である。
人の一生には、誰にでも必ずいくつかの節目がある。生まれた時と、いつかは必ず訪れる死の時が、人生最大の節目である。そのほかにも、子どもの頃の七五三、入学や卒業、就職、結婚など、さまざまな節目がある。あらかじめ心の準備をして迎える節目もあれば、全く予期せぬ形で突然訪れる節目もある。
その節目に当って、人はそれまでの自分から大きく脱皮し、新しい人間に生まれ変わり成長する。これが、心の脱皮である。
ニーチェは先の一節に続けて「脱皮することを妨げられた精神も同じであって、変化することを妨げられた精神は滅ぶ」と指摘しているが、心の脱皮をすることで、精神的な大きな展開を得ることができる。ニーチェの意図とは異なるかもしれないが、信仰についても同じことが言えるのではないかと私は思う。
脱皮する動物は、脱皮する前に内側に成長するためのエネルギーを蓄えている。成長のためのエネルギーを十分蓄えていなければ、脱皮は成就しない。知らず知らずのうちに着てきた、着せられてきた固定観念の殻を破り、つぼみのまま眠っていた個性、長所、特技、才能を花開かせる人生の節目の絶好のチャンスが人には必ずある。
新しい時代には必要ないにもかかわらず、古くから伝えられているものだからといっていつまでも後生大事に持っていても、負担が重くなるだけである。例えば、家を建てる時には外周に足場を組み立てて目的の建物を作り上げるが、建物ができてしまえば足場は解体する。家を建てるのに大変お世話になった大事なものだからと言って足場をそのままにしておくことはない。
このたとえは経典にもあり、日蓮聖人もしばしば引用されていることである。そんなことは誰もしないと笑うかもしれないが、似たようなことを私たちは日常よくやっている。ここに脱皮の必要性があるのである。
また、用件が済み当面の必要がないからといってどんどん捨ててしまえば、いざという時に必要なものがないと慌てることになりかねない。捨ててしまうのではなく、可能な限りリサイクルする知恵が求められる。セミやヘビの抜け殻は、古くから貴重な薬として活用されてきた。
私たちは、時々大きな勇気をもって無駄なものを捨て、一度捨てて身ぎれいになったところで、必要なものをリサイクルするのである。
ヴィスコンティの映画『山猫』の中で、イタリアの老公爵の「変わらず生き残るためには変わらなければならない」という矛盾に満ちた名言があるが、私たちも、大切なものを守り伝えていくためには、私たち自身の古い殻を破って脱皮しなければならない時がある。
新しい「令和」の時代に日蓮聖人の教えをしっかりと守り伝え弘めていくためには、その役割を担う私たち自身が新しく生まれ変わらなければならない。宗祖降誕八百年の「降誕」の意味は、私たちが新しく生まれ変わらなければならないことを示唆していると受け取りたい。
(論説委員・柴田寛彦)

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2019年5月1日号

心の内は立正元年

イチロー選手の引退から新元号の発表、天皇皇后両陛下のご成婚60周年、ご即位30周年、ご譲位と平成最後の春は散る桜のように惜しまれながら瞬く間に過ぎ去りました。
本稿の元日号の寄稿で、今年の改元は日蓮聖人の願行を掲げ、「立正」にと呼びかけましたが、有難いことにこの「令和」の最初の稿も担当することになり、改めて襟を正し、元日号で述べた通り、新しい令和は足下の生活の見直しから始めようということを再考したいと思います。
この「令和」の時代は日本にとって重大な局面を迎えることになるはずです。少子高齢化の波は止まらず、地方の疲弊は急速に進み、政治や教育の劣化は目を覆うばかりです。通信機器や情報、人工知能の発達は私たちの生活を一変させ、それに伴う国民の稚拙化は深まるばかりです。外に目を向けると、各国の独断は強まり、近隣諸国との関係も悪化の一途を辿っています。経済復興や政治改革、善隣外交、憲法改正など大きな政策は語られるものの、私たち国民1人ひとりが何を考え、どう生きていけばいいのかは議論にも上がりません。教育や福祉の向上を計り…と、ずっと言ってきたのに、国情はこの通りです。これからの未来が過去の評価を決めるように、この令和をどう生きるかで、平成の時代の評価が決まります。昭和や平成が良き時代と将来の日本人に称されるように、私たちは真剣に「生き方改革」に取り組まなければなりません。
途絶えることなく126代続く天皇の存在と、1400年を重ねる元号は、脈々と続く私たちの血脈の連続性を示し、限りある個々の人生も、その中で生き続けていくという、日本固有の神道的価値観のよりどころになっています。これは法華経の久遠の生命、娑婆即寂光の思想と重なり、子孫や民族の永世を願うことに繋がっていくのです。『報恩抄』の「花は根に返り真味は土に留まる」の日蓮聖人の言霊の中には、今日の祖国と国民を築いてきた先祖や歴史や文化がこの花の根であり、その真味を知らずしては花も咲かず、実も結ばないということの意もあるのです。であれば、私たちは母なる大地にこの根をしっかりと張り巡らせ、父なる天空に枝葉を広げていかなければ宗祖の願行には添えません。だからこそ、賢者として過去の歴史に学び、信者として自身の将来に子々孫々の幸せを願う希望を持って日々精進していかねばなりません。より具体的に考えれば、まず現在の核家族の形態を改め、時代錯誤といわれても、少々の我慢をしながら、過去の寄り合い所帯の家族(曾祖父母から孫、曾孫まで)を取り戻すことが大切だと思うのです。この大家族の中で、人は否応なしに生きる知恵を学んできたのですから。昔はどこの家にも家族全員で写った写真があり、子どもはこれを見つけては自分の存在感や立場を確認したものです。貧しかったが故に、家族皆で肩を寄せ合って生きていくしかなかった半世紀前までの生活が現在の国家国民を作ってきたのです。豊かになって家族を捨てた日本人の末路が現況であり、このまま国土が崩壊していくのを私たちは座視することができないはずです。この春からのNHK朝の連続テレビドラマでもこの家族や夢がテーマに取り上げられています。「令和」の令はもともと跪いて神意を聴く人の形だそうです。新元号に因み神意を跪いて謙虚に受け止め、外には「令和元年」、内には「立正元年」の覚悟を持って、先ず自分と家族を仏意に従って変革し、妙法の蘇生の義を貫ぬく生き方に舵を切ろうではありませんか。
(論説委員・岩永泰賢)

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新年のご挨拶。

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