2018年9月10日
ネルソン・マンデラさん
南アフリカ共和国は、17世紀にオランダ、19世紀にイギリスの植民地になり、1910年、南アフリカ連邦として独立したが、白人政権が黒人の政治的、社会的、経済的権利を剥奪するアパルトヘイト(人種隔離政策)を実施、以来約90年にわたり、黒人は白人に虐げられてきた。それを変えたのはネルソン・マンデラさんである。
マンデラさんはアパルトヘイトを打破すべく、ロンドン大学の学生のころから活動し、1964年、国家反逆罪で捕らえられ、終身刑を科せられた。彼は法廷で次のような発言をした。
「私は、白人による支配に反対し、黒人による支配にも反対だ。すべての人びとが協調して平等な機会のもとで、共に暮らしていける民主的で自由な社会という理想を大切にしている。この理想に人生を捧げて実現を目指すことができれば、最も望ましいです。必要であればこの理想のために死をもいといません」
国連は1969年にこのアパルトヘイト政策を非難、マンデラさんは、彼を支持する世界中の多くの声が波となり、国連での決議もあって、1990年、ようやく刑務所から釈放されたのである。27年間もの長い間刑務所に服役していたのであった。南アフリカは1991年にアパルトヘイトを撤廃し、民主政権を発足、人権の対立を解決し融和的な国となったのである。そして、1993年マンデラさんはノーベル平和賞を受賞し、翌1994年、国連決議でようやく初の全人種参加の総選挙が行われるに至った。民主的な総選挙でマンデラさんが南アフリカ共和国の大統領に選出されたのである。就任の演説でマンデラさんは
「白人も同じ国民であり、彼らの貢献度に感謝している。黒人も白人もすべて南アフリカ人だ。恐れることはない。人間としての尊厳を奪われることのない社会を作ることが私の理想だ。“虹の国”をこの南アフリカに作ることを宣言する」
と、熱心に国民全体に呼びかけた。マンデラさんの政治のモットーは、白人も黒人も仲良く一体となって助け合い睦み合い、南アフリカ共和国を作り上げていくことにあった。白人たちは、抑圧された黒人の反発があるのではないかと心配していたが、その心配はマンデラさんの崇高な考えと実行で杞憂に終わった。“虹の国”の国づくりの手始めは、過去の罪を許すこと、黒人の教育と雇用、企業幹部に黒人を登用すること、である。マンデラさんの寛容と思いやり、会話と融和の精神が民主的国家を作り上げたのだ。
「肌の色や信仰の違いから人を憎むように生まれてきた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。憎むことを学べるなら、愛することも学べるはずだ」
マンデラさんは4年の大統領任期を全うして辞任し、2014年95歳で亡くなった。
今年の7月18日、マンデラさんの生誕100年を記念し、南アフリカのヨハネスブルグで式典が行われた。式典にはバラク・オバマ前米国大統領が出席し、1万5千人の聴衆の前で演説し、マンデラさんを称えて感動を与えた。
マンデラさんの考えかたこそ、法華経の説く慈悲と平等と平和の理念に叶うものではないだろうか。
(論説委員・石川浩徳)