2018年4月1日
人の心根に流れるもの
2月25日、韓国平昌冬季オリンピックが閉幕した。日本人が獲得したメダル数が、長野オリンピックのそれを超えた。選手たちの健闘を大いに讃えたいと思う。
なかでも、スピードスケート女子500㍍で、小平奈緒選手が見事に金メダルを獲得した。オリンピック3連覇を狙った韓国選手を抑えての優勝である。
そんな小平選手が金メダルとは別のところで世界から賞賛されている。オリンピック新記録を出した自分のレース直後にライバル選手のレースがあるため、口に人差し指を当てて、オリンピック新記録に沸く会場に静粛を求めたのである。そしてその後、1位が確定したところでウイニングランをしつつ、2位の韓国選手を抱きかかえ、「あなたをリスペクトしている」と健闘を讃えたという。このことが、世界、特に地元韓国の人びとの感動を呼んだようだ。
話題が急変して、しかも個人的な話で恐縮だが、昨年暮れに宗門の役職が任期満了となったのを機会に、寺庭婦人(お寺の奥さん)の負担を少しでも軽減しようと、自ら進んでごみ出しをすることにした。寺庭婦人の指導を受けつつ、月曜日から木曜日まで、ごみ出しのカレンダーに従って行っている。しかしこれがなんとも難しい。
ひとり暮らしをしていた40年ほど前は、「燃えるごみ」と「燃えないごみ」だけだったのに、今は、「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」以外に、リサイクル上の観点から、「ガラスビン」「ガラス類」「カン類」「段ボール」「厚紙」「新聞」「雑誌」「ペットボトル」等々、細かく分別して、決められた日に出さなければならない。
こんなに難しいのだから、さぞかし間違う人も多いだろう、守らない人もいるだろうと思っていたが、あに図らんや、間違って出しているのをほとんど見たことがない。間違って出すと、「違反ごみ」のラベルを貼られた上に回収してもらえないから、すぐに分かってしまうのだ。一度だけ、段ボールの日に新聞を出して、「違反ごみ」のラベルが貼られているのを見たことがあるだけである。
このことを寺庭婦人に言うと、時々間違って出されてしまうものがあるが、他人のものではあっても、その都度引き取って正しい日に出しているという。ここでまた感心してしまった。その上、同じところにごみを出す近隣の人たちも同様のことをするというから、感心を通り越して感動すら覚えたのである。そして、ラベルを貼られた新聞を持ち帰らなかった自分を恥じることになった。
オリンピックの話とごみ出しのそれとでは、全く次元が違うようにも見えるが、私には、両者に共通する「思い」が感じられる。
それは、他者を大切に思う心であり、見知らぬ他者であっても優しく包み込む心である。人間の心根には常にこのような思いが静かに流れているように思われてならない。
現在、日蓮宗で展開中の「立正安国・お題目結縁運動」では、常不軽菩薩の但行礼拝の精神にならい、全ての人に対して敬いのこころを以て接することを勧奨している。このことは、上述の「思い」と見事に共鳴するに違いない。言い換えれば、人びとは、但行礼拝の精神、敬いのこころを受け入れるだけの土壌をすでに持っているということだ。
我々は、もっと自信を持って、確信を持って、運動を推進するべきだと思う。人びとが敬いのこころを自覚して、その精神を発揮できるよう、思いやりの土壌への下種結縁に励みたいものだ。 (論説委員・中井本秀)