論説
2018年2月1日号
釈尊と日蓮聖人のみ教えを追いかけて
私たちは、他者という人間存在との関わりだけでなく、社会的、歴史的な存在である以上、それらの関係性のもとに生活していることが知られます。そして、私たちはそれらの遺産、あるいは果報のもとに生きつつ、生かされていることを知るのです。しかし、私たちが、個と他との関係性のもとで生存していたとしても、個としてどのように生きるべきであるのか、という問題は、けっして他者が介在すべき他律的なものではなく、個としての厳しい存在の中で、自己の信仰・哲学が決定づけるという、自律的な問題、主体的な課題であると思われます。
そして、いかにその問題が厳しいものであっても、いまここに生きているただ1人の人間として、どのように人生をまっとうすべきか、と自覚的に思考し、模索しなければ、生きる方向性は定まらないと思うのです。
ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼世尊)の教えは、世界を創造したと考えられる絶対的超越者からの啓示、すなわち命令を基として、私たち被創造者が生きるように、との教えではありません。いまここに生命を享けている個々としての自己が、永遠の真理をもととしてどのように迷いを克服し、個の尊厳性のもとに、菩薩として生きるかを教示されている教えであると思われます。言い換えますと、大乗仏教(法華経)は、この世に生存する私たちを菩薩、すなわち、「仏の子」として全面肯定し、娑婆世界に生きることの尊さを示された教えであると、受けとめられます。その意味において、私たちは絶対者に対する奴隷でも、否定的な存在でもないと確信しています。
ところで、私事にわたり恐縮ですが、私は去る1月18日(木)の午後、貴重な時間を得て、42年間にわたる立正大学仏教学部の教員生活に1つの終止符を打つべく、大学・学部のご協力のもと、最終講義に当たりました。限られた時間の中で、昭和51(1976)年4月から、42年間にわたる教育・研究等について回顧することはできません。そこで、様々な思い出や、出来事を削り落とし、枝葉末節を剪除したとして、残りの根幹は何であったのか、と問わなければなりません。すると、あらためて薄暮の中に姿を現したのは、私自身がいかに久遠の釈尊を仰ぎ、日蓮聖人の教えをどのように体現しようとしてきたのか、というものでありました。
もちろん、私自身は仏道を求める1人の愚者でしかありません。他者に語ることのできる成果とか、誇るべき研究は存在しないのですが、ただ愚直に、大恩教主釈尊、そして日蓮聖人の教えに、必至に生きつづけようとする姿を回顧できたように感じたのです。
その歩みの第1歩を遡源してみますと、幼少年期に、お坊さんになろうと、出家を考えたときにはじまります。そのときの法悦と、ある種の羞恥心とを思い出すとき、それ以後の中学・高校・大学という学校制度の中での多くの先生たちや、友人の顔が想起されるのです。
そして、私は小学校を卒業して仏門に入りましたが、その最初の師範の導きがなければ、今日が存在しないことをあらためて痛感しています。
いま、個として、どのように生きるべきか、ということに思いをめぐらし、そして今日70歳で、どのように生きてきたかを自己に問うとき、すべてはみ仏の導き、日蓮聖人の教導にあることに感謝しないではいられないのです。
(論説委員・北川前肇)