ひとくち説法
2015年6月20日号
龍の髭の結縁
当山の隣には幼稚園があり、園との境に立派な青銅製の龍の口から水が出る洗心のお手洗い場が寄付された。子どもたちのいい遊び場になりそうで、寄付をされた方に「嫌な思い」をさせるのではと心配していた。案の定、子どもたちはその龍の髭に葉っぱを刺したり、小石がお供えさながら盛られていた。日々掃除をしても園児は100名以上でとても追いつかず、うるさく注意するのも、と困っていた。そんな時、ある保護者が、「娘はここで遊ぶのが大好きなんです。お爺ちゃんがお迎えに来たとき、ここ(本堂)とお家の仏壇は仏さまのお力で繋がっているんだよ、と聞いてからは、園に出かける前に家のお仏壇で〝ナムナム、行ってきます〟と手をわせるようになりました」。 方便品第二に「乃至童子の戯れに沙を聚めて仏塔と為る」を実践し、寄付された方も小さな下種結縁の功徳をいただけるのではないだろうか。それにしても今日も龍の髭には葉っぱが……。
(群馬県布教師会長・田代経量)
2015年6月10日号
ただただ祈るだけ
先日、もともと生家が当山の檀家で、私が幼い頃には忙しい母の代わりに子守をしてくれた女性が、68歳という若さで霊山浄土に旅立ちました。結婚後もご主人と子どもを連れて境内の掃除をするなど、お寺を気にかけていただきました。
その方の通夜の読経中「恩山の一塵に報じ、徳海の一滴に謝し奉る」という願文が頭をよぎりました。「山のように受けた御恩に対し、チリ一つ分だけ恩返しをし、海のように受けた御徳に対し、一滴分だけ御礼させていただく」という謙譲の意味を含んだ報恩のことばですが、生前いただいた恩返しのつもりでお題目を唱え、ただただ祈るだけでした。
生きていくなかでお釈迦さま、日蓮聖人をはじめ多くの方々からさまざまな御恩や御徳をいただいて、私たちの今があります。私たちができる唯一にして最も大切な恩返しが、お題目を唱えることなのです。
(埼玉県布教師会長・齋藤純孝)
2015年6月1日号
逆境の中で
長い人生に楽しみも苦しみも連れ立ってきます。失業、人間関係、病気、死。苦しみの中で死は大きいことで、老若によらず突然に来ます。愛する人との別れの悲しみは広くそして深い。私も1年の間に、妻も含め近親者が5人亡くなり、今、思い切り落ち込んでいます。
『四条金吾殿御返事』に「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合はせて」とあります。順境も逆境も縁を受け止め、平常心を持って日常の行いをしなさいとの、教えです。順逆の縁は、自分の力では動かしがたく、人それぞれに順逆の歴史があります。
逆境は避けられないもの。ならば、そこに意味を見出しより良く対応する。逆境とは苦しい時です。我慢の時です。時には時間が心の傷を癒す薬です。現在あることは大切な人のお蔭と感謝をする。明けない夜はないと、逆境を好機と捉え、苦楽に一喜一憂せずに、成長していきたいものです。
(千葉県北部布教師会長・加藤雅章)