オピニオン
2024年10月1日号
■共に生きる
この上なく巧みである様子を「絶妙」という言葉で表す。一流料理人の塩加減など、真似のできないほどの技を表する時などにも使う。ところでこの絶妙の塩加減だが、塩何グラムではなく、ひとつまみとか少々などと表現される▼素人には難しいこの絶妙の加減を、だれもができるようにと数値化が試みられてきた。たとえば炊飯器だ。水の量や火加減など匠の技を数値化して機械に落とし込み、絶妙なご飯の焚き加減を実現したものである。同様の手法は料理ばかりではなく、ものつくりから芸術に至るまで、人間の営みのあらゆる分野で使われており、その恩恵は計り知れない▼ただいかに技術が進んでも、越えられない一線がある。それは人間が肌で感じる、いわば空気の共有とでもいうものである。鮮明に映し出された大画面、限りなく生の演奏に近い音源。今やコンサート会場に行かなくても手軽に茶の間で音楽や演劇が十分楽しめる。しかしそれでも、ライブに行く人は多い▼機械という媒体を通してではなく、直に人と人との関係性に触れ、共にその場に生き、肌に触れる空気を共有しているという生の感覚・思念は、機械では到底得ることはできない▼人はこの地球上のすべての存在と同じいのちを生きている。社会と人との疎外感が感じられる昨今、いのちの共有ということを改めて考えなくてはならない。 (直)

2024年9月10日号
〝Gaman〟がつないだ未来
今年の5月末から6月初めにかけて、かつて主任を務めていたシアトル日蓮仏教会を調査のために訪れた。シアトルという都市は、アメリカ西海岸の北部に位置するが、アメリカ本土の都市ではかなり早い時期から日本からの航路があり、多くの人が移り住んだ。きっと新しい人びとを受け入れやすい土地柄があったのだろう、私自身も、どのコミュニティーにおいても温かく迎え入れてもらった記憶しかない。シアトル日蓮仏教会も、そのような風土のもと百年以上の歴史を紡いできた。規模の大きな団体ではないが、メンバー(檀信徒)たちは、それぞれの得意分野を活かしてお寺の護持丹精に努めてきた。アメリカに移住した最初の世代を「1世(日系1世)」というが、1世の人びとの暮らしは苦難の連続であった。そのとき、「ガマン(我慢)」という言葉が1世の人びとの心のよりどころになっていた。今は「我慢」、その先にはきっと明るい未来がある、そこへ向かって共に助け合って生きていこう、という具合であった。そして、その記憶・想いは子や孫である「2世」「3世」にも受け継がれ、「ガマン」は先祖の苦労や人種差別との闘いとその後の努力、さらには日系人としての美徳やプライドを表す代表的な言葉になっていった。
思うに、そもそもの仏教的な意味や、日本における一般的な用法の「我慢」とは少し異なる意味合いが付与されていったようだ。第2次世界大戦中の強制収容所の記録展示のタイトルが「Gaman(ガマン)」だったこともある。そのような文化的背景のもと、お彼岸の折りに「六波羅蜜」について話すときにはいつも、参列の人びとは「忍辱(苦難を耐え忍ぶこと)」にひときわ大きな反応を示し、うなずいていたことが印象的だった。それほど「我慢すること」「耐え忍ぶこと」は日系人が彼の地で生き抜く上で大切なことだった。
そんな日系人が大好きなご遺文の1つがこちらである。「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を(『妙一尼御前御消息』)」。日本にいながらこのご遺文を読むと、冬のしんしんとした寒さや、続いてやってくる春の芽吹きや花が咲き始める様子が思い浮かぶが、アメリカではどのような情景が思い描かれるのか。戦時中の強制収容所の様子から想像してみる。
3ヵ所の強制収容所跡を訪ねたが、夏は焼けつくような強い日差しで突風が吹き荒れる。冬は凍てつくように寒い。どこも地の果てのような場所だった。そういう場所に急ごしらえで建てられた粗末な小屋に集められて生活をしていた。おそらく、収容者にとっては今そのときが「冬」で、強制収容所を出ることそのものが「春」だったのではないだろうか。必ず戦争が終わり収容所を出る日が来ることを信じて、このご遺文を読んでいたのではないだろうか。この一節は、多くの人にとって救いだったに違いない。
このたびの調査では、4~6歳ごろに強制収容所にいた経験のある人に話を聞くことができた。今では80代半ばである。子ども心に収容所での生活は楽しかったと回顧する。両親とずっと一緒に過ごすことができたから、と。そう話す様子に、恨みや悲しさは見られなかった。我慢のなかで確実につながれたいのち。「ガマン」の先には必ず未来があるのだ。
(論説委員・村上慧香)

■選択と活力
人はさまざまな場面で、楽しんだり悩みながら選択をして生きている。身近なところでは今日の昼ご飯は何にしようかという選択。カレーにするか蕎麦にするか。そんな小さな選択もあれば、なにを指針に生きるかという大きな選択までいろいろだ▼そんな人間の「選択」のメカニズムについて書かれたコロンビア大学のシーナ・アイエンガーさんの『選択の科学』(文藝春秋)を読んだ。同書によると、人間は選択という決定権を行使することで、充実感や生きる気力を得ているのだという。選択を本能的に欲するのは、人間だけでなく他の動物たちにもいえる。選択肢の少ない動物園の動物は、選択肢の多い野生の動物より寿命が短いというのは意外だった。なるほど選択とは生きる活力につながっているのか▼私たち日蓮宗徒は法華経を信奉し、日々お題目を唱えるという選択をした。考えてみれば法華経は生きる活力を涵養する教えであり、選ぶべくして選択されたともいえる▼この選択は、これをもって終着点とするのではない。その選択の先には法華経の教えに基づきどう生きるかという次の選択がある。すべての「いのち」と「いのち」がつながりあい、支え合って生きていることを知ること。そしてすべての「いのち」を敬って、感謝の合掌を捧げていこう。次は「行動としての選択」だ。人生は選択の連続である。(友)
