ひとくち説法
2022年5月20日号
お寺で養う感謝の心
コロナ禍の影響で、お寺の行事を縮小したり中止することが増えています。なかでも次世代を担う子どもたちを対象とした「修養道場」がお寺で開催できないことは、とても残念です。
能登の日蓮宗青年会では、修養道場に参加できない子どもたちに自宅でも修養ができるよう、お経のテキストや食事の前に唱える「食法」を贈っています。その「食法」とは次の内容です。
「私たちは、自然の恵みをいただいて生かされています。これは仏さまの慈しみと思いやりです。たとえ一滴の水や一粒の米であっても、たくさんの命と苦労によってなりたっています。私たちはそれによって心と身体を養い、仏さまの教えを守り、たくさんのご恩に感謝して、これをいただきます。南無妙法蓮華経」
子どもたちが仏さまを敬い感謝の心を育む大切な3日間。本堂いっぱいに集う子どもたちと大きな声でお題目を唱える日を待ち遠しく思います。
(石川県2部布教師会長・藤井昭光)
2022年5月1日号
「幸せ」の在処
「私たちは幸せになるために生まれてきた」といわれる。確かに、不幸せな人生を歩みたいと思う人はいない。できれば幸せを感じられる日々を過ごしたいと思うのが人情だろう。
世の中は、陰と陽、吉と凶、プラスとマイナス。両極のバランスの中で成り立っている。幸せだけの人も、不幸せばかりの人もいない。植物と植物、動物と動物。そして人と人も相関し合いながら成り立つ。人と植物でも同じこと。私たちは二酸化炭素を吐き出し、酸素を吸う。植物は、二酸化炭素を吸い込んで、酸素を吐き出す。
人は1人で生きていくことはできない。つまり私の命は、他のすべての生命を生かし、そして生かされている命といえる。では「幸せ」って何だろうか? 「幸せ」とは、人の評価によるものではない。生かし生かされる命の呼応に気づき、感謝できるなかにこそ、本当の「仕合わせ」が息づいている。
(富山県布教師会長・谷川寛敬)